第30章ー6
「話を変えますが、本当に労農党は日本本土における年季奉公人禁止の法律制定を進めるつもりですか」
「当然のことだ。労農党の本来の支持者が挙って支持している以上、それは譲れない」
「植民地が反感を抱きませんか。悪いことが起きかねませんよ。暴動までで済めばいいですが、反乱とか独立戦争とかまで起きるかもしれませんよ」
小早川道平は、義兄の織田信長をそれとなく諫めた。
「何を言う。大日本帝国憲法上、基本的に人と人との間においては法の下の平等が認められているではないか。有期とはいえ奴隷制度を認めるような年季奉公人は禁止されて当然だろうが」
「ええ、確かにそうですが。植民地は年季奉公人を受け入れることで発展しています」
「だからといって、年季奉公人を肯定していい、という話にはならないだろうが。それにあくまでも日本本土で年季奉公人を禁止するだけだ。植民地にまでは当面は年季奉公人禁止を押し付けるつもりはない」
二人の話は更に進んだ。
さて、日本の国会、衆議院も貴族院も有権者は日本本土在住が大前提で選挙法は制定されていた。
これは、この当時の距離的な問題から半ばやむを得ない話ではあった。
何しろ(この世界においては)航空機はまだ飛び出したばかりと言っても過言ではなく、日本本土と植民地を結ぶ最速の手段が蒸気船、汽船を用いる方法なのだ。
それこそ太平洋横断だけでも何日どころか、何週間単位で掛かるのが当たり前の話になる。
更に日本から見れば地球の裏側とも言える南米の植民地までにおいても、国会議員選出の選挙が現実に行える話かというと。
距離的な問題に加えて、それこそ国会議員選出のための有権者の把握から始まって、何から何までが極めて難しいのが現実だった。
だからこそ、国会、特に衆議院議員の選挙は日本本土に限られる事態が起きてしまった。
この当時、日本の植民地は南北アメリカ大陸及びその周辺のカリブ諸島を始めとする島々、オーストラリアとニュージーランド及びその周辺諸島、それから最初期に植民地化したルソン島を中心とするフィリピン諸島といったところが主だったところだった。
(尚、シンガポールやジブラルタル等、名目上は植民地だが実際には軍事拠点といったところもある)
そして、植民地化していると言っても、実際には極めて粗い統治が行われている場所が多く、特に植民地化が始まったばかりと言える北アメリカ大陸の中東部や中南アメリカ大陸、また、オーストラリア大陸の沿岸部以外では、日本の植民地と言っても警察等の治安機構すらない無政府地域が珍しくなかった。
こうした現実を踏まえて、当面の間は日本本土からのみ国会議員は選出されることになっていた。
そして、統治機構が整備されたと認められた地域、植民地から徐々に国会議員を選出予定ではあった。
また、統治機構が整備された証しの一つとして、植民地においても一院制の議会を設置して、条例を作ったり、植民地自治の課税を行ったりすることを認めていた。
実際にオーストラリアやニュージーランド、カリフォルニア等では植民地議会の設置が並行して進められてもいた。
この植民地議会は、それなりに統治機構が整備されている植民地において、大よそ人口が10万人程の地域毎に設置されることになっていた。
更に1万人程の人口がいる町でも町議会を作ることで、それを補完できるようにしていた。
これは日本本土でも同様で、旧国単位の一院制の国議会や郡議会、市議会が設置され、地方自治の役割の一環を担うことになっていた。
これによって地方自治、植民地自治の実を挙げて、国会を補完していくことも果たして、統治が上手くようにしていこうと考えられていた。
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