プロローグー3
史実の武田信玄の娘である松姫が出てきますが、実母が違うというツッコミは歴史の流れが違うということからご寛恕を。
後、この人に娘はいないみたいだけど、というツッコミも同様に歴史の流れが変わった影響ということでご寛恕下さい。
「話を変えますが、妹の里子の婚約は無事にまとまったのですか」
「何とかと言いたいけど、むしろ向こうの中院家の方が乗り気だったから順当にまとまったわね。松一父さんも肩の荷が下りたのか、子ども全てが縁付いたのをきっかけに隠居しようか、と言い出したわ。私に孫ができたために、曽御祖父ちゃん、と松一父さんは呼ばれるようになったもの。それに松一父さんは実際に満56歳になったものね。人生50年と考えれば、隠居を考えてもおかしくない歳だものね。あ、それから愛子母さんは、曽御祖母ちゃん呼びは断固拒否よ。自分の産んだ子の孫以外には曽御祖母ちゃんと呼ばれる筋合いはないって」
九条(上里)敬子の問いかけに、織田(上里)美子はそう答えた。
その答えを聞いて敬子は考えた。
自分が九条兼孝の正室として嫁いでから5年が経ち、自分の兄や弟も相次いで結婚した。
そして、末妹の里子も先日、婚約を果たしたのか。
尚、里子の相手だが、大臣家の一つ中院家の次期当主の中院通勝だった。
中院家としてみれば、九条家と相婿になれる上に、三条家の当主代行であって尚侍の美子の義弟に次期当主がなれるということから、この婚約に乗り気になって受けたのだ。
ちなみに敬子の兄の清は広橋国光の娘と、弟の丈二は甘露寺経元の娘と結婚した。
両方とも(公家の家柄で言えば)十三名家に属する家の娘であり、申し分のない良縁と言えた。
だが、実は上里松一にしてみれば少し気に食わない縁談だった。
何故なら、本来的には名家は弁官等を経て出世する文官職の家柄だからだ
松一としては、本来的には武官職である近衛府や衛門府を経て出世する羽林家の娘を高望みかもしれないが息子の嫁として迎えたかったのだ。
(上里家は「皇軍」の元士官の立てた家とはいえ、本来的には公家とは無縁の庶民階層出身になる。
更に言えば当主の松一は海軍大尉で退役していることから本来的には無位の筈の身で、更に細かいことをいえば、この世界の16世紀当時は属国である琉球(沖縄)の出身ということにもなる。
だから、松一が自分の子どもを公家と縁付けるというのは、本来的には高望みなのだ。
だが、松一自身の才覚や自らの家族の才覚や縁により、松一は従四位下にまで任ぜられており、又、名家の娘を息子2人の嫁として迎え、更に娘2人を(1人は養女にするという形を介してだが)摂家や大臣家に嫁がせることに成功したのだ)
そんな行きがかりもあって、清や丈二に対して、本来の自分の後を追うように軍人になるように松一は半ば強いることになった。
そして、清は陸軍士官学校に入った末に陸軍少尉にこの4月に任じられることになり、丈二は高校2年生になって海軍兵学校への入学を目指しているという現状があった。
(もっとも、松一の意気込みにも関わらず、松一以外の家族が見るところでは、清も丈二も妻に骨抜きにされていて、丈二に至っては(この当時では珍しくも無いが)高校生の身で父になっていた。
尚、敬子にしても女子学習院高等部1年生の時に出産育児のために一時休学したことから、1年遅れで女子学習院を卒業している)
序でだがこの際に全くの余談になるが書くと。
美子の長男の信忠は海軍兵学校生になっており、海軍士官としての路を歩むことになっていた。
更に様々な巡り合わせで武田晴信将軍と諏訪姫の間に産まれた松子と信忠は交際の末に結婚して、息子にまで恵まれている。
それに美子の長女の徳子は、松平信康と結婚して娘が産まれてもいた。
こうしたことから、松一は曽御祖父ちゃんと呼ばれるようになっており、更に自らの子ども全員が縁付いたことから歳を痛感した松一が隠居を考えるようになってもいたのだ。
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