第28章ー9
そんな何とも言えない悲喜劇が、オーストラリア等にいるポルトガル人らの身に起こることになった。
だが、そういった悲喜劇にある意味では関わりなく、オーストラリア等ではゴールドラッシュが起こり、また、足利義輝らが行った様々な宣伝活動によって、日本本土のみならずアジア各地から人の波がオーストラリア等に押し寄せる事態が起きた。
そして、オーストラリア等に赴いた後で順調に金を見つけて一財産を築く者も出たが、そう簡単に多くの者が財産が築けるのならば人生の苦労の多くが無くなるのが、現実という代物だった。
オーストラリア等に赴いた者の過半数どころか8割以上、9割近くが身銭を切ってオーストラリア等に赴いたものの、結果的に赤字で故郷に錦を飾るどころでは無かったのが現実だった。
日本本土から赴いた者はそうは言っても日本人であり、それなりに日本政府に援けを求めること(実際に現場で彼らの救援に当たったのは足利義輝らになることが多発はした)ができたが。
日本以外のアジアから来た面々は、それこそどこにも援けを求められない事態が多発し、結果的にオーストラリア等に残って、少しでも生き延びようと、大牧場や大農場を経営している日本人に自らを年季奉公人に売ってまでも生き延びようとする例が多発するという事態になった。
もっとも、足利義輝を始めとする大牧場や大農場を経営している日本人にしても、半ばそれを目当てにして鹿苑寺や石清水八幡宮、更にはポロンナルワの様々な工事を行って、人々の耳目を集めて人を懸命に集めようとしたのだ。
人手不足に困っているというよりも苦しんでいるオーストラリア等の現状からすれば、オーストラリア等に集まってくる人手は貴重な存在だった。
そして、その人手は必ずしも日本人でなくても、真面目に働いてくれるのならば、更にオーストラリア等において摩擦、犯罪等を引き起こさないのならば、極端に言えばだが誰でも構わなかったのだ。
このような裏事情も相まって、日本以外のアジアからでもオーストラリア等に赴いた移民達はそれなりに結果的には歓迎されることになった。
そして、このようにして集まった移民達によって、オーストラリアの奥地の探査や開発等は順調に進められて行くことにもなった。
この辺りは数年がかりどころではない歳月がかかることになるが、結果的には多くの探査者によって、オーストラリア大陸内の炭田や様々な鉱山が順調に発見されていき、また、それによってその鉱物の採掘等が行われていくことになった。
とはいえ、それが具体的に見えるようになるのは、まだまだ先の話だった。
この1568年当時は、それこそ金発見に伴う日本のみならず、アジア各地からの移民殺到にオーストラリア等では対処に日々追われているというのが、どうにも否定できない現実だった。
何しろ、ゴールドラッシュが起こる直前の10年間については、オーストラリア等に向かう船は荷物を運ぶ合間に序でがあれば人を運んでいると言っても、そう間違いはなかったのが現実だったのだ。
それ程、オーストラリア等に向かう人は減少しており、逆にオーストラリア等から外に出ていく人の方が多かったのが現実だった。
それなのに、ゴールドラッシュ発生とそれに伴う宣伝の効果から、逆にオーストラリア等に向かう人の波が急に起きたのが現実というものだった。
少しでも早く行こう、とこの1568年当時では徐々に廃れつつあった帆船に乗り組んでアジア各地からオーストラリア等に向かう人が珍しくない有様にまでなった。
(旅客輸送の場合、少しでも快適に行きたいと蒸気船で向かうのが、この頃の太平洋やインド洋では既に当然になっていたのだ)
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