第27章ー19
尚、この片倉喜多の人生の歩みは、上里智子にしてみれば嫁いだ当初は警戒心が先立つものだった。
智子としては薄ぼんやりとした記憶になるが、養母の愛子と異父姉の美子が実父の松一を本気で取り合っていたのを覚えている。
(尚、美子自身は養父の松一をからかっていただけだ、と言い張っているが、その美子の言葉に対しては松一も愛子も、更にはこの当時の美子の振舞いを見て覚えている美子の弟妹全員が大ウソだ、とツッコミの嵐を入れる代物だった)
こうした記憶があったこと等から、嫁いだ当初の智子は、喜多が独身のままで侍女になっているのは輝宗の側室の座を狙っているからではないのか、と警戒心が先立ってしまったのだ。
だが、結果的にはこれは杞憂となってしまい、今では喜多は智子の姉的な存在までになっていた。
更に喜多の弟2人も共に、このブラジルに赴いており、この地の開拓に奮闘している。
又、喜多の実父も陸軍を早期退役して、この地に赴いていた。
「父の良直から奥様にとキャッサバが届きました。タピオカにして砂糖を掛けてとぜい沢をしますか」
「それはいいですね」
喜多の言葉に智子は返した後で続けた。
「それにしても、良直殿も50を過ぎてこの地に来てキャッサバ栽培を試みるとは大変でしょう」
「娘としては、父は大変だとは思いますが。父がどうしてこの地に来たのか、そして、本音が何処にあるのか、考えない方が良いですよ」
喜多は鬼庭家から片倉家に自分が養女として入った経緯もあり、少し辛らつな口調で言った。
そして、喜多としてこれが表立って言える精一杯でもあり、智子も承知している。
鬼庭良直は陸軍を早期退役していた。
(この世界の)陸軍の将軍、海軍の提督は最低でも従五位下に叙せられ、最終的には正三位にまで叙せられることがありえる地位である。
良直は従四位下になったところで、旧主の伊達家を完全に凌ぐ官位を頂くのは差し控えたい、と表向きは言って退役をしたのだ。
(良直の旧主にして、輝宗の祖父の伊達稙宗の最終官位は従四位下であった。尚、この世界の伊達晴宗は従五位下に止まっている)
この時、良直は陸軍次官を務めており、数年後には陸軍大臣を望める程だったので周囲はかなり慰留したのだが、良直の決意は固く退役に至ったのだ。
だが、これは表向きの話だった。
実際は良直は日本政府のお目付役として南米、ブラジルに赴いて、伊達家と共にいるのだ。
北米大陸やカリブ諸島のような事態に、中南米がならないように良直は目を光らせている。
そして、伊達家もそれを承知している。
他に柿崎景家も似たような経緯を辿った末に陸軍を退役してペルーに在住している。
表向きはポトシ銀山を始めとする南米の鉱山の管理、探査のためだということになっており、その仕事を実際に行ってもいるが、実際には南米に赴いている日本人が不穏な行動を起こさないように目を光らせているのだ。
また、良直や景家の下にはそれなりの人員がおり、農業開発指導や鉱山探査の名目で中南米各地の日本人植民地に入り込んでいる。
勿論、そういった指導を実際に行ってもいるが、裏では不穏な動きが起きないように彼らは目を光らせてもいるのだ。
智子は表向きは知らないふりをしながら想った。
喜多さんが言う通り、考えない方がよいことなのだろう。
良直や景家、更にその部下達の指導により、中南米の日本の植民地化は順調に進んでおり、宗教的にも徐々に禅宗や真言律宗等が原住民の間にまで広まりつつある。
だが、同時にこのことは日本本国が隠密裏でも植民地の監視を始めたということだ。
その原因は北米大陸やカリブ諸島にある。
姉の和子達は、本当にこのことをどう考えているのだろうか。
何で伊達(上里)智子がタピオカを知っている?
というツッコミの嵐が起きそうですが、江戸時代の高野長英もタピオカについて知っていたとのことです。
従って、皇軍知識があるこの世界では巡り巡ってタピオカが知られていてもおかしくない、ということで平にお願いします(本当のところは、高野長英が知っているタピオカと現代のタピオカが同じ物かは疑義があるようにも思われます)。
ご感想等をお待ちしています。




