第4章ー14
「それは良かった。ところで、帝に対して、どのような要望を皇軍は出しておる」
「それが」
近衛植家の問いかけに、島津貴久は答えを口ごもらざるを得なかった。
貴久としては、口に出したくない、だが、口に出さざるを得ない。
「皇軍は、足利幕府に対して、大政奉還なるものをさせ、帝に親政をしていただきたいとのことです」
「げえっ」
貴久の答えに、植家は現関白とも思えぬうめき声をあげざるを得なかった。
帝の親政、植家の脳裏には、あの後醍醐帝が、天皇親政を叫び、鎌倉幕府討幕を断行してからの、何十年にも渡って日本国中が戦乱に見舞われた悪夢の時代が、すぐに思い浮かんでしまったのだ。
「国中を戦乱の悪夢に戻すつもりか。皇軍は何を考えておるのだ」
植家は思わず叫んでしまった。
だが、その叫び声が、却って冷静さを貴久に与えた。
「それが、400年後には、日本は天皇親政国家になっており、欧米諸国の植民地となっているアジアを日本は解放しようと戦争を決意していて、我々はその尖兵として赴くところだったとのことです。皇軍の幹部としては、400年程、早まってしまったが、考えてみれば、欧米諸国の植民地にアジアがならないようにするのが、日本の使命。それを想えば、却って日本やアジアのためには良かったのではないかと」
貴久は、そう皇軍の幹部の考えを伝えた。
「バカなことをいうものではない。何で、日本の民が、そのために日本の外に赴いて死なねばならんのだ」
関白らしからぬ乱暴な言葉遣いにも程がある、と自分でも想ったが。
植家は、更にそう叫び、言葉を続けざるを得なかった。
「皇軍は、気が狂っておる。日本の国内外を戦乱の巷に追いやり、日本の民を塗炭の苦しみに堕とすのか」
だが、その叫びは、更に貴久を冷静にさせた。
「では、皇軍の考えを、どうやって否定されるおつもりで」
そう半ば詰問口調で、身分の違いを無視して、貴久は植家に尋ね返した。
「うむ」
植家とて、それなりには現実が見える。
実際問題として、足利幕府は壊滅状態にあると言ってよい。
足利義晴は、皇軍の虜囚となっている。
細川晴元、三好政長は行方知れずとなっており、落ち武者狩りで殺された、という噂が流れている。
六角定頼や三好長慶に至っては、事実上は梟首されている有様だ。
(正確に言えば、梟首、さらし首には二人共になってはいないが。
帝、今上天皇陛下を苦しめた者の末路は、六角定頼や三好長慶らの如し、と喧伝されていては、梟首されているようなものと言っても間違いではない)
そして、足利幕府を立て直そうにも。
阿波水軍や和泉水軍は、皇軍側に寝返っている。
更に細川家や三好家が壊滅状態に陥っていることから考えると、例えば、阿波にいる足利義維(足利義晴の実の兄弟)を新たな足利将軍と担ぐ等して、足利幕府を再建するのは至難の業といってよい。
更に言えば、京、山城周辺で皇軍に対抗して、皇軍打倒の兵を挙げられる存在がいるだろうか。
木沢長政でさえ、この状況の急変についていけず、取りあえず、皇軍に味方したい旨の使者を送ったが、主君に謀反を起こすような者が何を言う、武装解除に速やかに応じられよ、さもなくば、討伐する、というような態度を皇軍に示されたことから、頭を抱え込んでいるらしい、という噂まで流れているのだ。
そして、比叡山延暦寺に至っては、武装解除に応じる姿勢までも示しだしているのだ。
植家は考えれば考える程、自分の目の前が暗くなっていく一方のように思われてならなかった。
これは、帝に素直に現状を申し上げて、共に対処を考えるしかないようだが。
だが、皇軍にどのように対処すれば、自分は良いのだろうか。
本当に打つ手があるのだろうか。
この辺りの近衛植家と島津忠良、貴久父子の会話がスムーズには行える筈がない、というツッコミは勘弁してください。
使僧が随時、通訳している等の脳内補完でお願いします。
(流石にそこまでリアルな描写を求められては、とても小説にならない)
明日以降も似たような描写が多々、出てきますが、同様に緩く見て下さい。
ご感想等をお待ちしています。