第26章ー12
さて、日本政府とオスマン帝国政府との交渉によるエジプト問題の解決だが。
日本政府の使節団からの、エジプトがオスマン帝国の属国になることでの事態打開を図る、その代償としてこれまでのジズヤ等を含めたエジプトからオスマン帝国に納められていた貢納額についてはエジプトは従前の2割増しの貢納に応じる、という提案についてまでは、余り難航することなく、日本とオスマン帝国の使節同士の話し合いが進捗することになった。
ソコルル・メフメトにしても、これまでのエジプトとの戦いから、とてもではないがエジプト軍を圧倒してエジプトを制圧することによる戦争終結を図る、というのが困難であると判断していたからだ。
それならば、エジプトがオスマン帝国の属国の地位に甘んじる上、更に従前よりも2割増しの貢納に応じてくれるのならば、名を捨てて実を取るではないが受け入れる余地がある、とソコルル・メフメトは判断することになり、更にスルタンのセリム2世もソコルル・メフメトの提言に応じたからだ。
問題は、その他の付随事項に関することで、この点は意外に揉めることになった。
例えば、エジプトが兵器工場を持ち、その兵器をオスマン帝国も買いつけることについてだが、オスマン帝国は兵器の買い付けまでは前向きな態度を示したが、それならばオスマン帝国領内に兵器工場を作って欲しいと、オスマン帝国は求めることになり、日本政府はそれを断る話をすることになった。
他にもエジプト独立問題の後処理について、オスマン帝国に反乱を起こした以上は、それなりの責任者の文字通りの首を差し出すことを、オスマン帝国政府側は求めることになった。
流石に浅井長政の首を差し出すことは日本側も断ったが、(この時点では日本側もオスマン帝国側にも具体名は分かっていなかったが)少なくとも木下藤吉郎辺りの反乱を積極的に指嗾した者の首は差し出さないとオスマン帝国側はエジプト独立問題について応じるつもりはない、という態度が示された。
毛利隆元駐オスマン帝国大使らを顧問、参謀としつつ、近衛前久太政大臣を長とする日本からの特使団は懸命にオスマン帝国との交渉に当たったが、オスマン帝国側も中々交渉に応じるという態度を示すことは無く、交渉は難航することになった。
その打開策として。
「織田美子殿、エジプトの現地調査を行って真実を明らかにして、その上で日本側からの提案を行うこととしたい。その現地調査を信長らと共に行ってくれぬか」
「分かりました。ところで、それは本当の真実を明らかにする必要がありますか」
「いや、必ずしもそうではない。日本とオスマン帝国双方にとって都合の良い真実であれば良い」
「よく分かりました。大御心に寄り添うような真実を明らかにします」
「おお、良く分かっておられる。よろしく頼む」
近衛太政大臣と美子はそんな会話を交わした末に、一旦、美子は信長らと共にエジプトへ向かった。
近衛太政大臣としては、ともかくエジプト問題で功績を挙げればいい、という想いがあった。
その一方で、美子としては今上(正親町天皇)陛下が望まれるように、エジプト問題を平和裏に解決したいという想いがあった。
そして、この点で近衛太政大臣と美子は微妙に同床異夢といってよく、そうしたことから上記のような会話を交わすことになったのだ。
さて、もっとも速い交通手段ということで、「三笠」を使ってアレクサンドリアに美子と信長らは赴くことになった。
更に真実究明のために浅井長政らに協力を求めることになった。
浅井長政にしても本音としては、ここまでの成り行きに不信感を持っており、竹中重治らに美子と信長に協力するように命じることになった。
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