第26章ー2
さて、その人物はというと、織田(上里)美子だった。
「お断りします。実母が重病な中でオスマン帝国に赴く等、私は行く気になりません」
「これは近衛太政大臣の意向ですぞ。それを断るというのですか。そもそも従五位下に任じて、オスマン帝国に共に赴いて欲しい等、大変な恩典では」
近衛前久太政大臣の意向を受けて織田美子に対し、オスマン帝国に赴くように依頼をしに行った久我通堅は居丈高な対応をした。
実際問題として、以前にオスマン帝国に赴いた際の経験等から、織田美子はアラビア語が堪能であり、トルコ語も日常会話をこなせる程だった。
だから、久我晴通が元婚約者でもある織田美子を推薦するのは当然と言えたが。
このことというか、久我通堅の言葉や態度は、織田美子に逆に頑なな態度を取らせることになった。
「従五位下に叙するのが、大変な恩典ですか。清華家の姫君である私にその言葉。他の摂家を始めとする公家社会の方々にそのことを触れ回ったら、どうなるでしょうね」
織田美子は敢えて冷笑しながら言った。
「何を言われる」
久我通堅はすぐには気が付かなかった。
「私は猶子とはいえ、清華家である三条家の姫君ですよ。清華家の姫君を従五位下に叙するのが大変な恩典と近衛太政大臣は居丈高に言って来た、と公家社会に私が触れ回ってもいいのですか」
「あっ」
久我通堅は織田美子の言葉に自らの大失策に気付いた。
近衛前久は公家社会で好まれてはいない。
むしろ嫌われ者だ。
だが、近衛家という摂家筆頭の立場があるので太政大臣を務めている。
そして、織田美子は、三条公頼の娘の三条氏から猶妹として認められたことで清華家の姫君といえる立場にあり、それもあって清華家当主の久我晴通と婚約にまで至ったのだ。
(これは(この世界では)三条公頼が病死した後、三条家が断絶した事情も相まってのことになる)
更に言えば、久我通堅は久我晴通の長男なのでこのことを熟知して当然の身だった。
だから、織田美子の事情について、自分は知らなかったでは済まないのだ。
また、清華家の姫君に対する処遇として考えるならば、織田美子を従五位下に叙するのを大変な恩典というのは清華家を軽んじるものだ、と言われて当然の話になる。
久我通堅は、結局はすごすごと織田美子の前を去って、近衛前久に復命することになったが。
この経緯は却って近衛前久の心の琴線に触れた。
「面白い女性のようだな。それなら清華家の姫君として処遇しよう。また、三条家を再興させよう」
近衛前久は笑いながら、久我通堅に言った。
「どうされるのですか」
「こうするのだ」
久我通堅の問いに、近衛前久は笑いを収めないままで言った。
そして。
「先日は大変失礼しました。織田美子殿を従三位に叙し、又、尚侍に任ずるとのことです。それと三条家ですが、三条家の分家になる三条西家の三男である実綱殿を三条公頼の死後養子として、三条家の再興を認めるとのことです。尚、美子殿も三条公頼の死後養子として認めるとのことです」
「えっ」
久我通堅が再び自分を訪ねて来て言った言葉に、織田美子は呆然として答えた後で考え込んだ。
これは断れない。
猶子(?)関係に過ぎなかったとはいえ、実家の三条家を再興させるというのだ。
更に自分も清華家の姫君として相応しい官位に叙される。
何しろ従三位の上に尚侍に任じられるのだ。
三位ということは閣僚級の官位であり、尚侍ということは内侍司の長官で宮中女官の長ということにもなるのだ。
全く文句のつけようがなく、自分は受けざるを得ない官位と言える。
「謹んでお受けします、と近衛太政大臣にお伝えください」
「重畳、重畳」
織田美子の答えに久我通堅は笑いながら言うことになった。
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