第25章ー27
「どうするか」
流石に豪胆な柴田勝家も頭を痛めることになった。
オスマン帝国軍が迂回部隊を出すことは想定していたが、柴田勝家としてはその兵員数としては約1万人程度を想定していた。
そのために、アレクサンドリアから来援した磯野員昌や宮部継潤が率いる1万2000人で、その迂回部隊を迎撃するつもりだったのだ。
ところが、迂回部隊として約4万人もオスマン帝国軍が出してくるとは。
こちらが迎撃のために準備していた1万2000人程では敵軍は3倍以上、幾ら後ろから攻撃することで、有利な態勢からの攻撃を試みるとはいえ、こちらが一蹴される可能性が高い。
かといって、例えば佐々成政を指揮官として割いて、迎撃部隊を増やしては今度は陣地を守る部隊が減少し過ぎてしまう。
柴田勝家としては、約3万人程度が籠って守るという前提で現在の陣地を築いている。
従って、迎撃部隊を増やしては、どうしても現在の陣地を守るのに手薄な所が出来てしまい、オスマン帝国軍が迎撃部隊がいない中で攻勢に出てきた場合、そこを衝かれて陣地が抜かれる危険があると柴田勝家は懸念せざるを得なかった。
だが、柴田勝家以上に豪胆なのが、磯野員昌と前田慶次だった。
「約4万人ですか。3倍の軍勢とは丁度、手頃な数です。浅井家の精鋭振りをとくとお見せしたい」
磯野員昌は笑って言った。
1523年生まれの磯野員昌は、「皇軍来訪」前に起きた北近江の国人一揆において実戦経験のある古強者である。
将来は浅井家の先鋒を任せられる勇将になると大いに期待されていたが、「皇軍来訪」により帰農せざるを得なくなった。
そして、浅井長政の声が掛かったことからエジプトに赴き、このような状況になって、また軍人の身に戻ったのだ。
磯野員昌の言葉を聞いた前田慶次も、磯野員昌に同調した。
「3倍の大軍を丁度、手頃な数とは。豪胆比べをして、先鋒を競いましょうぞ」
「おう、お前のような30前の若造には負けぬ」
磯野員昌も前田慶次に笑いながら言葉を返し、前田慶次も笑い返した。
そのやり取りを見聞きして、柴田勝家は決断した。
磯野員昌や前田慶次がやる気ならば、一か八か賭けてみよう。
どちらにしても、このまま迂回部隊を看過する訳には行かないのだ。
さて、オスマン帝国軍の迂回部隊2万人はゆるゆると進まざるを得なかった。
4万の大軍が移動していると欺瞞しなければならない以上、わざと砂煙を挙げる等、小細工をしながらの進軍をせざるを得なかったからだ。
更に、やや慢心もあった。
実戦経験豊富なオスマン帝国軍に対して、急造のエジプト軍が陣地を出て積極的に自ら野戦を仕掛けてくる筈が無い。
もし、エジプト軍が仕掛けるならば、総兵力を挙げないと不可能と考える筈で、そんな無謀なことをしては、あの堅陣ががら空きになり、ソコルル・メフメトが容易に落としてくれるだろう。
(オスマン帝国軍側は、エジプト軍の規模を約4万人程とほぼ正確に推測していたのだ)
だからこそ、僅か1万2000人でのエジプト軍が攻撃してきたことに、オスマン帝国軍2万人は逆に驚くことになった。
もっとも、実際に戦った時には、そんなことはお互いに分かってはいなかった。
エジプト軍側は3倍以上の大軍に決死の想いで突撃を仕掛けたつもりだった。
一方、オスマン帝国軍側はほぼ同数のエジプト軍が、急に自軍の後方から襲い掛かってきたように感じてしまった。
(これは前田慶次が間道を知っていたのに対し、オスマン帝国軍はエジプト軍はその間道を余り把握していないという思い込みから起きた事態だった)
オスマン帝国軍は慌てて迎撃態勢を整えたが、磯野員昌と前田慶次は競うようにオスマン帝国軍に突撃を開始した。
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