第25章ー24
結果的にはだが、オスマン帝国軍の将兵にしてみれば地獄に突撃しろ、と言われて行った攻撃だった。
柴田勝家が率いるエジプト軍が構えた野戦陣地に対するオスマン帝国軍の攻撃は、余りにも悲惨極まりない結果に終わってしまった。
ソコルル・メフメトは決して無能な将帥ではない。
そして、野戦陣地を攻撃する以上、それなりどころではない大砲を準備していた。
この攻撃のために約400門もの大砲を、ソコルル・メフメトは準備して砲撃を浴びせたのだ。
(補給部隊を含めて約15万もの大軍がいるのに、僅か約400門か、というツッコミの嵐が起きそうだが、1568年という時代を考えれば、十二分に大量の大砲といえる。
これから60年以上後の史実の三十年戦争における1631年のブライテンフェルトの戦いの際でさえ、旧教軍側は約4万人の軍勢を率いつつ、36門しか大砲を装備していなかった程なのが史実なのだ。
そんな感じで、大砲の価値はこの当時に認められてはいたが、まだまだ野戦においては普及していたとは言い難いのが現実というモノだった。
そして、史実と異なる「皇軍来訪」があったとはいえ、日本もオスマン帝国に対して、大規模な大砲の提供はしておらず、史実より大砲が増えはしていたが、オスマン帝国軍にしても、皇軍知識を活かしたエジプト軍の野戦陣地を大砲で崩せるか、というと極めて困難だったのだ)
約400門の大砲を駆使して、半日掛けての砲撃を浴びせはしたが。
だが、オスマン帝国軍歩兵が前進を始めるとなると、砲撃を中止せざるを得ない。
幾らソコルル・メフメトが獅子吼しようと、この時代のオスマン帝国軍兵士に自軍が砲撃を浴びせている中に突撃することを命じるのは不可能な話だったからだ。
(というか、この時代に自軍が砲撃を浴びせている中に突撃して行く兵士等、日本軍しか存在しないのが現実というものだった)
そして、砲撃が止み次第、塹壕の中で砲撃に耐えていたエジプト兵は速やかに射撃可能な状況になって、オスマン帝国軍兵士の前進を迎え撃つことになるのだ。
オスマン帝国軍の兵士が前進を初めて約1時間後、ソコルル・メフメトは最前線に出てオスマン帝国軍の前進を督戦しようとしたが、目の前に広がる奇妙な光景に目を疑った。
エジプト軍が構えた陣地の前には、(正確な名前をソコルル・メフメトは知らなかったが)鉄条網が張られており、それを越える手前で多くのオスマン帝国兵が止まってしまっている。
「何をしておる。何故に動かずに止まっている」
ソコルル・メフメトは思わずカッとなった。
あれではエジプト軍陣地の攻略等、できる筈が無い。
「速やかに前進するように督戦しろ」
ソコルル・メフメトは周囲に怒鳴ったが、最前線に既に進出していた幕僚達は無言のままだ。
その彼らが醸し出している異様な雰囲気にソコルル・メフメトは、ようやく気付いて、気を静めた上で幕僚達に改めて問いただした。
「彼らは何故に動かない」
「あれは皆、死体か、間もなく死ぬ重傷者です。あそこまで前進するのが精一杯でした。後の者は退却して、再度の前進を拒んでいます」
「何」
暫くの沈黙の後、幕僚の一人が絞り出した言葉に、ソコルル・メフメトは絶句した。
ソコルル・メフメトの眼前ではどう少なく見積もっても数千、下手をすると1万の兵士が倒れている。
それなのにエジプト軍の陣地には一指も触れられていないのだ。
「何という堅陣をエジプト軍は構えている。どう見ても城塞ではないか」
半日掛かりの大砲撃を我々オスマン帝国軍が浴びせた筈なのに、相手のエジプト軍は無傷なのか。
敵将の柴田勝家が率いるエジプト軍の怖ろしさをソコルル・メフメトが痛感した瞬間だった。
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