第25章ー17
さて、オスマン帝国側、特に首都コンスタンティノープルにおいて、浅井長政らのエジプト独立の動きが把握されて、それに対して本格的な対処が為されるのには、どうしても時間が掛かることになった。
何しろエジプトからコンスタンティノープルまでは、かなり離れているのだ。
更にどうしても初期情報は錯綜してしまい、中には誤った初期情報も多々あるのが当たり前である。
こうしたことから、首都コンスタンティノープルにいるオスマン帝国の大宰相ソコルル・メフメトが、浅井長政らのエジプト独立の動きが確実なものであり、これを武力で鎮圧せねばならない事態であると把握したのは、1568年の5月半ばになってからのことになった。
更に言えば、ソコルル・メフメトは、すぐにこの武力鎮圧に頭を痛めることになった。
何しろ相手が相手である。
エジプトの住民が募兵に応じていることもあり、数万を数える兵が集まっているというのだ。
更に日本の武器、銃火器で彼らは武装しているという。
流石に鋼鉄製の後装式ライフル砲や機関銃等は無いだろうが、彼らの持っている後装式ライフル銃は数千挺、前装式ライフル銃を併せれば万を超えるだろう。
これだけの重武装をしている軍勢を討伐して、エジプトの独立を阻止するとなると、オスマン帝国側も十万を超える軍勢を招集して総力戦を挑まざるを得ない。
ソコルル・メフメトは頭を抱え込むことになった。
そこに更に続報が入った。
「何、エジプト独立を図る日本人達は、メッカ、メディナ、エルサレムの完全破壊を目論んでいるだと」
「はい」
「日本人が、そんなことをするとは思えないが」
「しかし、彼らは本来から言えばイスラム教徒どころか、啓典の民ですらありませんよ」
「だが、エジプト独立の音頭を取っている浅井長政は妻と共に東方正教徒だし、その周囲の日本人にも東方正教徒になっている者は多い。メッカ、メディナ、エルサレムの重要性を浅井長政は知っている筈でメッカ等を破壊する筈はない」
「だからといって、日本人の多くが異教徒なのは事実です。浅井長政の統制が完全に効いていると楽観視するべきではない、と考えます」
「うーむ」
ソコルル・メフメトは側近達とそのような会話を交わす羽目になった。
ソコルル・メフメトは、先代のスルタンであるスレイマン大帝から遺嘱を受け、セリム2世の信任も篤いことから、ほぼオスマン帝国の全権を握ってはいるが、だからといって政敵が皆無ということは無い。
少しでも隙があれば、大宰相の地位を奪おうと虎視眈々の政敵がそれなりにいる。
そうしたことからすれば、万が一に備えてメッカ、メディナ、エルサレムの防衛のための部隊を残しておかない訳にはいかない。
その一方で、ソコルル・メフメトは日本大使館との折衝にも事実上は当たっていた。
この時にコンスタンティノープルに駐在していた日本のオスマン帝国大使は、毛利隆元だった。
毛利隆元は胆を据えて、オスマン帝国との交渉に当たっていた。
「エジプトにおける浅井長政らの独立戦争は、日本本国は全く関与しておりません。エジプト独立をしないために私自ら、浅井長政に会いに行く覚悟をしております。更に言えば、浅井長政らに加担していないオスマン帝国領内の日本人を迫害するようなことは止めていただきたい」
毛利隆元は、そのように懸命に訴えていた。
実際、エジプト以外では日本人がオスマン帝国に敵対している動きを示してはいない。
こうした中で日本とオスマン帝国が本格的に敵対しかねないような行動、具体的には日本人への迫害行為等を煽っては、それこそオスマン帝国と日本が本格戦争になりかねない。
ソコルル・メフメトは今後の行動に苦慮していた。
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