第24章ー11
更に日本人の間で不満が漂う理由があった。
それこそ、技術面の長足の進歩も背景にあり、旧式なものについては日本政府の許認可を受けて、友好国とされる外国に輸出等を行うことが認められるようになっていた。
例えば、初期型の蒸気機関(初期型と言っても、史実で言えば19世紀半ば位の水準にある代物で、それこそワットが作った蒸気機関より遥かに効率が良い)や反射炉といったものである。
「皇軍来訪」から数十年が経ち、日本に来る外国人も増えて、そこで日本の進んだ文物に触れて、自国でもできたら作りたい、という動きが起きるのは当然のことだった。
そして、日本との外交関係を活かして日本の友好国がそういう文物の輸入を図るのも当然の話だった。
こうしたことから、オスマン帝国内でも蒸気機関や反射炉といったものが作られるようになっていて、その恩恵を受けている。
また、軍事面でも日本国内で機関銃や鋼鉄製後装式ライフル砲の量産が可能になったことから、前装式ライフル銃や青銅製前装式ライフル砲といった「皇軍来訪」初期の頃に使用されていた旧式な兵器についてもオスマン帝国等への輸出が、日本政府の許可を受けた上で認められるようになっている。
(尚、これは軍事面に関することなので、当然のことながら、政府間同士で行われているものであり、民間では行われてはいない)
これによって、オスマン帝国の軍事力も強化されている。
こういった様々な恩恵を日本から受けていながら、オスマン帝国内で日本人は非イスラム教徒だということだけでジズヤの支払い等を求められる等の差別を甘受せねばならないのか、という想いが日本人、特にスエズ運河建設に伴って来たような外国生活の経験が浅い日本人の間では漂うのだ。
(尚、オスマン帝国の人民、特に政府からすれば、日本人の信じている仏教について啓典の民の一員として特に認めて改宗を求めずに庇護まで与えているのに、日本人が不満を持つ理由自体が分からないのだ。
ジズヤ等の日本人から見れば差別に当たることでも、オスマン帝国にしてみれば、これは差別では無く啓典の民庇護のための対価であるというのだから、話が全くかみ合わない)
上里勝利等の少数派は、それこそイスラム教徒が統治する国では、こういった異教徒、啓典の民への取り扱いが当たり前であると分かっているので、特に不満を零さないが。
スエズ運河建設を機に日本から赴いてきて、外国での経験が乏しい者程、こういった取り扱いを日本人に対する差別として、エジプトの現地において不満を溜め込むことになった。
更にスエズ運河警備の為に集められたのは、現地人を警備員として多くを雇っているが、どうしても信頼性の問題もあり、幹部は日本人で占められることになった。
また、スエズ運河の規模の問題(全長となると200キロ近い規模)の問題から、警備するのも大量の人員が必要になってくる。
ラクダ等を活用して、警備隊の機動性を高めることで警備員の数の削減に努めてはいるが、少々の人員で賄う等はとても不可能な話である。
柴田勝家の見積もりによれば、スエズ運河の完全警備を図るとなると、百人単位ではとても済まず、1万人は欲しいというのが正直なところだった。
だが、オスマン帝国は日本の協力によって強化した軍事力を欧州方面とイラン方面に向けており、スエズ運河建設に伴う警備は日本側にほぼ丸投げになっている。
それで、この大量の警備員募集の人や金銭の負担も、ほぼ日本側の負担になっている。
勿論、それを承知でスエズ運河建設を始めたのだが、実際に始めて費用等が掛かるようになると、現地のオスマン帝国側も負担すべきという空気が漂うのは当然だった。
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