第23章ー33
そんな物騒な話が実はすぐ傍で交わされていたことに、その時の上里勝利は気づかなかった。
勝利にしてみれば、スエズ運河の新たな建設のための予備調査の実施ということだけでも、既に頭が一杯と言ってよい状況だったからだ。
何しろ「皇軍来訪」に伴う未来知識という存在があるとはいえ、それが全てを解決するわけではない。
更に言えば、(メタい既述の話ではあるが)「皇軍」の知識が、この世界の地形や資源等と完全に一致している訳では無いのだ。
あくまでも大よそが一致しているというだけで、例えば、流石に大規模鉱山が全く存在しなかったということは無いが、鉱山があっても「皇軍」の知識よりも産出する鉱石の質や埋蔵量が少し異なることは当たり前と言ってよい位で起きていたし。
地形にしても、例えば、探検航海の際に「皇軍」の知識では存在しない暗礁があったり、逆に存在する筈の暗礁が無かったり、というのも多発していた。
だからこそ、史実世界でスエズ運河が建設できていたからと言って、この世界でもスエズ運河が建設できると、日本政府は楽観できなかった。
更に1556年段階では、日本はまだポルトガル勢力を事実上インド洋から追い出したばかりで、南北米大陸にようやく目を向けられるようになった段階だった。
そのためもあって、まずは古スエズ運河再開削をオスマン帝国に勧めるということになったのだ。
そして、それから6年が経って、日本からも技術者等を送り出した結果、古スエズ運河再開削の目途は完全に立ちつつあり、更に中南米大陸からスペイン勢力を追い出すための戦争準備が整った。
スペインは史実にかなり近い状態で、中南米大陸の金銀鉱山の開発を進めているという情報も入った。
また、日本国内の技術、生活水準も順調に発展しつつある。
こうしたことから、スエズ運河建設が日本の国力で何とか可能になっただろう、と日本政府は判断して、その下準備として勝利をオスマン帝国への密使として送り、スエズ運河建設のための予備調査を行うことにしたのだ。
本当に史実世界と同様に地中海と紅海に水位差はほとんどないのか。
また、史実と違って大きな障害物があるようなことはないのか。
更に言えば、それこそ既述のように「皇軍」が様々な知識を持ってこの世界に来たとは言えども、その資料は軍事技術的なモノに偏っていたし、スエズ運河に関する資料に至っては、それこそこの世界に偶々持参してきた資料全てを足しても10頁も無いのでは?という有様だった。
だからこそ、スエズ運河建設のためには予備調査が必須だったのだ。
そして、ナイル川の増水期を活かして数か月を掛けて調査を行い、その調査結果をまとめた上で確認を行った結果。
「スエズ運河建設は十二分に可能か」
1562年12月、勝利は安どのため息を吐くことになった。
勿論、あくまでも技術的に可能と判断されるというだけであり、実際にスエズ運河建設に取り掛かった場合に想わぬ難題が生じる可能性が皆無とは言えない。
(それに技術的に可能だからと言っても、予算や人員の規模までも考えるならば、本当にスエズ運河建設が可能なのか、と疑問が抱かれて当然の規模なのだ)
それでも、地中海と紅海の海面差は無視できる程度であるとか、予備調査の限りでは大きな問題が見つからなかった、というのは勝利にしてみれば一山越えることができた、という想いが広がることだった。
更に勝利には連絡が入った。
「首都コンスタンティノープルに送ったスエズ運河建設について、スレイマン1世からの返書が届いたので、ワーリー府に出頭せよとのことです」
「分かりました」
勝利は吉報の返書であることを願いつつ、ワーリー府に向かった。
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