第4章ー5
(グレゴリウス暦でいえば)1542年2月4日朝、相次いで皇軍の輸送船団は、鹿児島湾を出航して、土佐沖を経由し、紀淡海峡を通過して、須磨海岸に上陸する航路へと向かった。
言うまでもなく、この輸送船団には、近衛師団を主力とする皇軍の上洛兵団が乗船している。
また、この輸送船団を支援するために、高木武雄少将を指揮官とする、妙高型重巡洋艦4隻を主力とし、他に軽巡洋艦2隻、駆逐艦8隻、合計14隻からなる護衛艦隊が随伴している。
阿波水軍や和泉水軍が、皇軍に本格的に敵対する可能性は低いと判断されていたが、そうは言っても何があるか分からない、として警戒に努めるのが軍人の本来の姿である。
こうしたことから、過大と言う主張がないでもなかったが、14隻から成る護衛艦隊が、輸送船団に随伴することになったのだ。
とはいえ。
「これが下手をすると、最後の大作戦になりかねないな」
「全くです。燃料も本格的に底が見える有様に陥りつつあります」
そう高木少将らは嘆く羽目になった。
既述のように、ブルネイのセリア油田の確保だけは何とかなっていたものの、この頃はまだまだ、精製した船舶用の重油が、皇軍のために生産される事態にまでは至っていなかったのだ。
そのために、色々と悪戦苦闘し、それこそ「金剛」「榛名」に至っては、燃料欠乏から、完全に海上砲台に化したといわれても仕方ない状況にまで陥っており、そこまで苦心惨憺した末に、須磨海岸への上陸作戦を皇軍は断行することになっていた。
だが、これだけの艦隊、船団を組んで須磨海岸への上陸作戦を展開したことは、(皇軍の幹部は、その時には全く知らなかったのが)阿波水軍や和泉水軍の上層部の面々に、抗戦を断念させることにもなった。
「父上、酒を呑んでいる場合ですか」
「酒を呑むしかあるまい。ああ、だからな。つい、酔い過ぎていたので出撃できなかった、という周囲への言い訳も兼ねておるのだ」
「それが、真鍋の生きる路ですか」
「おう、死にたいのなら死んで来い。わしは止めんぞ」
「父上の姿を見て死ぬ気が失せました。私も痛飲します」
「応、父子で呑み合戦と行こうぞ」
こんな感じで、和泉水軍の主力、真鍋氏の当主、真鍋貞行は息子の真鍋貞友と(酒の)呑み合戦を行うことになった。
ちなみに、酒の肴はいうまでもなく、皇軍の艦隊、船団である。
なお、主の父子の姿を見て、真鍋氏の麾下の水軍衆の面々も、主たちと同様に酒を食らい出した。
「ふん。あんな艦隊に突っ込んでいけるか。細川晴元らから、好機をうかがい、味方の水軍衆と共に合戦を挑め、という書状が届いておるが、あんな艦隊に突っ込んで勝てるものかよ」
真鍋貞行は、完全に愚痴り酒を呑んでいた。
「全くですな。あんな巨大な船、しかも木造ではなく、鉄張りと思われる船からなる艦隊、船団と戦おう等は無謀極まりない話です」
真鍋貞友も、酒の酔いから目が据わった有様で愚痴った。
「実際、他の水軍衆も、我々と同じ判断らしい。出陣を促す書状が、他の水軍衆から届かないからな」
「そう言われてみれば、そうですな」
父子は更に愚痴った。
「さてと、大阪湾のいずこかに、あの艦隊、船団に乗った兵達が上陸し、細川晴元らと戦うのだろうが。わしらは高みの見物をさせてもらおう。ああ、勿論、兵が上陸次第、敵対の意思は無い旨の書状は送るがな」
「はは、父上には敵いませんな」
父子は、誰に書状を送るかは、言葉に出さないが、暗黙の了解に達している。
言うまでもない、皇軍に父子の書状は送られるのだ。
「さてと、もう一飲みして、部下も交えて続きをするか。完全に酔っておかんとな」
「私も付き合います」
真鍋父子は、とことん部下と共に飲んだ。
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