第23章ー15
だが、このことはエジプトの旧支配階層の生き残り、具体的に言えばオスマン帝国への反乱に加担せずに生き残ったマムルークらに、大きな不満を澱ませることにもなっていた。
古スエズ運河再開削という大事業が行われることを発端として、オスマン帝国による二度目のエジプト征服ともいえる事態が引き起こされたのだ。
そして、自分達は保身を図ることで仲間のマムルークを結果的に裏切って、オスマン帝国に加担することで生き残ることはできたのだが。
それによって、オスマン帝国に厚遇されるどころか、古スエズ運河再開削という大事業遂行のために身代を身ぐるみ剝がされつつあるといっても過言ではない状況に陥りつつあるのだ。
これならば、いっそのことあの時にオスマン帝国の反乱に加担していた方が良かったのでは、そうすれば反乱が成功したかもという想いさえも生き残ったマムルークの間では過ぎる事態となっていた。
これは古スエズ運河再開削という大事業が、エジプトに根を張るようになってきたマムルークらに対して直接の利益をもたらすものではない、という側面が大きかった。
オスマン帝国にしてみれば、地中海と紅海を古スエズ運河再開削によって結ぶことは、主に日本との交易を促進してそれによる流通経路に関税等を掛けること(具体的にはスエズ運河の通行料を取る)等で、国を富ませることができると認識されていた。
しかし、その通行料等は必然的にオスマン帝国政府に直接に納められるものであり、地元のエジプトにはもたらされない代物なのだ。
勿論、スエズ運河を通航する船舶はエジプトに寄港することが多いだろうし、スエズ運河によって全くエジプトが潤わないことは無い。
しかし、生き残ったマムルークらにしてみれば、余りにも美味しくない話に他ならなかった。
それに多大な負担を行わざるを得ない現状があれば、マムルークらに不満が澱むのも当然だったのだ。
上里勝利は、現在のエジプトの状況を調査する内に、そういった現状に少しずつ気付いた。
勿論、生き残ったマムルークらがあからさまに現状に不満を言うようなことは無い。
何しろソコルル・メフメトはエジプトにいて、その目が未だに光っている現状があるのだ。
それにバルカン半島から抽出された精鋭のイェニチェリが、ソコルル・メフメトと共に未だにエジプトにかなり残されていては、不満を口に出すのがはばかられるのは当然の話だった。
しかし、こういった陰に籠った恨みつらみは、見る人が見れば分かるものなのだ。
勝利は、エジプトの宗教対立等までも更に合わせて、自らの考えを進めた。
ソコルル・メフメトに対して、単純にスエズ運河建設の話を今すぐに持ち掛けたら、上手く行くとは自分には思えない。
むしろ、エジプトに澱んだ不満を抜くための方策をソコルル・メフメトに述べて、それを実践に導いて成功させてエジプトの不満を抜いた上で、改めてスエズ運河建設を図るべきだろう。
そういえば、小西隆佐アレクサンドリア支店長もエジプトの振興を図りたいと言っていた筈だ。
勿論、父というかインド株式会社の命令を無視する訳には行かないから、スエズ運河建設のための現地調査もある程度、自分はしないといけないだろう。
だが、それ以外のことをしても悪くはあるまい。
勝利は、小西アレクサンドリア支店長の現在の主な考えについても、書簡をやり取りすることにした。
そうこうしているうちに10日余りの時間が流れて、ソコルル・メフメトのいるワーリー府を勝利が訪問する約束の日が来た。
勝利は様々な物品に加えて、ソコルル・メフメトから言われた通りに豆腐を作成して、荷物を運ぶ従者代わりの従業員と共にワーリー府へと向かった。
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