第23章ー12
さて、話を上里勝利の方に戻すが。
勝利は浅井長政夫妻と別れた後、カイロ出張所に身を落ち着けた。
インド株式会社の方からは、カイロ出張所所長特別補佐という肩書を勝利は付けてもらっている。
(本来は臨時を付けるべきだが、それをあからさまにする訳にもいきづらいので臨時は付いていない)
とはいえ、本格的なスエズ運河建設の下準備という重大任務である。
更にこのことは必ずしも触れ回って良い代物では無かった。
現在のエジプトはオスマン帝国の統治下にあるとはいうものの、歴史的経緯等から微妙に半独立した土地柄だったからである。
本格的なスエズ運河建設計画ということを、古スエズ運河再開削という大事業をやっている真っ最中に更に行おうという以上、隠密裏にやった方が無難なのは当然の話だった。
もっとも、勝利には強みがあった。
この1562年当時、古スエズ運河再開削を順調に進めるために、オスマン帝国は特例としてワーリー(エジプト総督)の地位に、宰相を務めていたソコルル・メフメトを転出の上で就任させていたのだが。
ソコルル・メフメトに勝利はコンスタンティノープル公会議開催の際に面識を得ていたのだ。
勿論、向こうが覚えていなくても当然の関係ではあるが、それでも勝利にしてみれば、全く見知らぬ相手ではないというのは心強いものだった。
そして。
勝利は従前からいるカイロ出張所の従業員を使ってワーリー府に対し、コンスタンティノープル公会議の際にお会いしたソコルル・メフメトに敬意を表すために、直接、お会いしたいというお伺いを立てた。
その際には自分の半ば身元証明として、私はご兄弟の会食の席での料理を作った料理人の一人です、という文言をお伺いを申し入れる際の文書に入れた。
すると、その文言の効果があったのか、数日後に。
「ワーリー府から、上里勝利カイロ出張所所長特別補佐に、ソコルル・メフメトが会っても良い、と言っている。その日時は追って連絡するとの文書が届きました」
「そうか」
「それと、私には意味不明ですが、本人かどうかの身元を明かすものとして、ワーリー府に来る際にはトーフを持ってこいと使者の方は口頭で言われています」
「使者の方は、まだおられるかな」
「まだ、おられます」
「それなら、私が直接にお答えしよう」
従業員と勝利はそんなやり取りをした後で。
「使者の方ですか」
「はい」
勝利は使者とアラビア語でやり取りをした。
使者は少し驚いた顔をした。
勝利が直接に顔を出して、更にアラビア語で話しかけてくるとは思わなかったからだ。
「トーフの件は確かに承りました。あの時より美味しいトーフを持参しますと必ずお伝えください」
「分かりました」
使者はそう答えながら想った。
どういう意味だろう、何かの符丁なのだろうか。
後でただの食品の名称だったという真実を知って、使者は腹の中で笑い転げることになったのだが。
それはともかく。
「にがりをそれなりに日本から持ってきてよかったよ」
勝利は、最初の使者が来た後で、そう呟きながら、改めて豆腐を自作していた。
大豆から豆乳を作り、そして、にがりを使って豆腐にする。
妻の宇喜多氏は、その様子を見て目を細めながら言った。
「このエジプトで本当に豆腐を作ることになるとは思いませんでしたね」
「何だったら一緒に試作品を食べるか」
「そうですね」
出来立ての豆腐をその場で醤油で食べる。
勿論、豆腐料理は様々にあって、それこそ日本全国を探せば、皇軍知識も相まって今や数百あってもおかしくない程に膨れ上がっていて、自分達の知らない美味しい食べ方も多々あるだろうが。
勝利夫婦にとっては、この食べ方が簡素極まりないが、豆腐の最高の食べ方だと思っていた。
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