第23章ー8
支店員の言葉は、どこか遠くを見ているかのようにお市には聞こえた。
そして、そのことはお市に違和感を与えて、支店員に思わず質問を投げかけさせた。
「何か欧州では起こっているのですか」
「ものすごく要約して言うと、欧州全体が不景気風に覆われつつある。そのために欧州の都市が全般的に衰退しつつあるらしい。皮肉なものだよ。そのために日本の産物というか、輸出品が却って売れなくなるような怖れさえ、自分は覚えつつある」
「えっ」
支店員は何を言っているのだろう、そんな想いさえもお市はした。
「欧州とアジアをつなぐ運河は早ければ後2年程でできるという噂が自分の耳にまで届いている」
支店員は半ば自問自答しだした。
小娘と侮っていたお市が的確な答えをしたので、それなりに対応すべきだと考えたからかもしれない。
「今でも日本の絹織物は、欧州産の絹織物より安く売り込まれている。更に日本からは他にも羊毛を使った毛織物や綿花を使った綿織物が、欧州に売り込みを掛けられる有様だ。もっとも、毛織物はともかく、綿織物については未だに馴染みが欧州では少ないので、余り売れないが徐々に広まりつつはある。欧州で多くの庶民が身に着けているのは麻や亜麻を使った織物だが、身に着けるのには麻よりも綿の方が肌触りが良いし、値段もそう変わらないということから、日本の綿織物が広まりつつあるのだ」
「そうなのですか」
お市は合いの手を入れた。
「そこに欧州とアジアをつなぐ運河の開通が間近いという情報、噂が流れ出した。日本産の様々な織物がもっと安く、欧州に売り込まれるという情報が広まっていて、欧州の織物産業は震撼しているらしい。かといって、欧州の織物産業は基本的に職人芸で成り立っているから、そう簡単に織物産業に従事している職人が他の職業に転職する訳には行かない。そのために毛織物産業で繁栄していたネーデルランド等では不景気風が暴風のように吹いているという」
「成程」
お市は、支店員の言葉を頭の中で反芻した。
これは大変なことが欧州では起こるのではないか。
そう考えている間にも、支店員の話は続いている。
「ともかく、日本から欧州に輸出する産物はあるが、逆に欧州から日本に輸出する産物は極論すれば皆無だからな。大量の金銀が欧州から日本へと徐々に流出する事態が起きている。最後には人を売って、欧州は金銀を取り戻すしかない、という冗談が欧州の一部では流れているそうだが、それが冗談ではなくなりそうな勢いだよ」
「確かに」
お市は、エジプトに赴く前ににわか勉強したことを想い出した。
確かに欧州から日本への輸出品としてめぼしいものは無い。
そうなると欧州から日本へ大量の金銀が流出することになる。
何しろこの時代の貿易の決済は金銀が基本だからだ。
大規模な貿易赤字が生じたら、半ば必然的に国内から大量の金銀が流出する事態が起きてしまう。
今のところは、何とか中南米大陸からの金銀がスペインに流入しているので、欧州全体では貿易赤字を補えている状況だが、中南米大陸からスペインへの金銀流入が止まったら、欧州全体では日本への金銀の流出が補えない事態が起きるのではないだろうか。
そうなった場合、欧州の諸国はどうやって対処するだろう。
ぜいたく品といえる香辛料や陶磁器ならば、日本からの輸入を欧州は基本的にしないという選択肢を選べなくもないだろうが。
衣料品のような生活必需品までも日本に依存するような事態に陥っては、欧州は日本への金銀の流出を差し止めるのに苦しむ事態が起きるのではないだろうか。
お市はそこまで考えを進めて、欧州が重大な曲がり角に立ちつつあるのでは、と自分の考えを進めざるを得なかった。
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