第22章ー1 1562年秋の上里家とその周囲の様子
新章の始まりで、日本、中でも上里家が主な舞台になります。
1562年9月前半、朝夕は完全に秋めいたとはいえ、真昼はまだまだ夏の名残がある頃、上里松一は週末の休みを利用して、昼下がりに一人で織田信長の家を訪ねていた。
松一の養女で事実上の長女とも言える織田(上里)美子は、信長に嫁いでいる。
だから、娘と孫達に松一が会いに行くのは、別に何でも無い話の筈ではあった。
(更に言えば、お互いの自宅は大坂市内にあって十二分に歩いて行き来ができる近さでもあった)
だが、養父の顔を見た美子は素直には歓迎の色を示さなかった。
「あれ、愛子母さんは?お父さん一人で来るとは珍しい」
「ああ。愛子は嫌がったが、一人で行くと押し切った。それに婿もいるのに邪推も無いだろう」
松一の言葉に、信長が口を挟んだ。
「確かにその面での邪推は無いでしょうが。何事ですか。今は私も歓迎しづらいですよ」
「分かっている」
娘夫婦の半ば非難めいた口ぶりに、松一もさすがに渋い顔をして言葉を出した。
さて、何で松一と娘夫婦が何でこんなやり取りをする羽目になったかと言うと。
美子は(いうまでもないことだが)松一の元側室、現地妻のプリチャ(永賢尼)の連れ子から養女になった身であり、松一と血のつながりは全くない。
だが、それだけならまだしも、松一とプリチャ(永賢尼)が別れて、美子が松一と愛子の間の養女となった後、美子は十代半ばの一時期に松一の愛人に自分がなろうと、松一を積極的に自ら誘惑した(本人はからかっただけと言い張るが、そう周囲には思われた)前科があるのだ。
松一は美子を娘と考えていたので、美子には全くなびかずに終わったのだが、この当時、愛子は美子の行動に激怒する余り、美子を家から一時は追い出す事態が生じた程だった。
そして、この事態から美子も目が覚めて松一のことを諦めて、信長と結婚したのだが。
この以前の前科があるので、愛子は松一と美子が逢う際には自らも同席したがるのだ。
だから、娘夫婦の家を松一が一人で訪ねるというのは、極めて稀な話だった。
更に言えば。
スペインとの戦争が本格化したために便乗もあったが、様々な物の値段が上がるようにもなっていた。
このために都市部の労働者を中心に生活が苦しいとの声が徐々に上がるようになり、信長が指導者になっている大日本帝国全労連(準備会)は、ゼネストをちらつかせることで賃上げを求めていた。
とはいえ、戦争中にゼネストをするのか、という大日本帝国全労連(準備会)内部の声もあり、その動きも冷水が掛かっていた。
そうした最中に、今や財界の重鎮の一人になっている松一と信長が私宅で会うというのは。
周囲から勘繰られても仕方がないことであり、そうしたことから信長も義父の松一の訪問を歓迎しない態度を示した訳だった。
松一は娘夫婦の言葉に、腹を据えたというか少し怒りの籠った声を挙げた。
「今が微妙な時期で状況を弁えないといけないのは、自分も分かってはいる。だが、それでも自分だけと美子、更に信長と逢わねばならない事態が起こったのだ」
その声を挙げた松一の目は半ば据わっていた。
これはただ事ではない。
そう考えた美子と信長は改めて、自宅に松一を迎え入れた。
「まずは言って置く。今日、自分だけが来たのは、娘の智子の縁談について、お前達2人の腹蔵の無い意見を聞きたいと思ったからだ。あと一つ、娘の和子の動向がどうにも良くない方向に転がり出したようなのだ。その点についてもお前たちの意見を聞きたいのだ」
松一は、娘夫婦に半ば言い渡した。
美子と信長は、思わずお互いの顔を見合った後で言葉を無くした。
和子も智子も、美子からすれば異父妹になる存在だが。
何で父の松一がわざわざ訪ねてくる話にまでなっているのだ。
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