第21章ー15
そして、実際に雑賀衆が北米大陸に、更にニューオリンズの地にたどり着くのは、1563年の新春早々ということになった。
これは北米大陸、更にニューオリンズ港までが余りにも遠いことからやむを得ない話でもあった。
あの会合の後、すぐに武田(上里)和子は、両親を始めとして自分の思いつく限りのところに手紙を書いて、他に電文も打ち、更に会合に参加したほかの面々も同様の行動をして、雑賀衆が少しでも早くニューオリンズ港にたどり着けるように、と様々な手立てを尽くしたのだが。
そうはいっても、航空機等は無い時代で、日本本土から北米大陸への最も早い移動手段が石炭焚きの蒸気船であり、北米大陸の沿岸にたどり着いてからニューオリンズ港に向かうのに最も早い移動手段が、馬で早駆けをするという時代である。
そうしたことからすれば、1563年の新春早々に雑賀衆がたどり着けたのは十二分に早い話としか言いようが無かった。
(尚、1563年の新春早々にニューオリンズ港にまでたどり着けたのは雑賀衆の極一部に過ぎず、実際には三々五々の体で、雑賀衆は1563年の春にかけてニューオリンズ港にたどり着いた。
更に言えば、これは第一陣と言った感じで、カリブ諸島侵攻作戦が進捗して、カリブ諸島をめぐる物資の移動が活発になるにつれて、後続の雑賀衆が更に北米大陸へと向かう事態が起きた)
そして、1563年の新春に雑賀衆の有力者である鈴木重秀(雑賀鈴木家当主の通称として鈴木孫一、と他者から呼ばれることが多く、自らも鈴木孫一と称することが多々あったため、しばしば混乱が起きる)はニューオリンズ港のほとりに部下の一部と共にたどり着いて、自らに与えられた帆船を操っていたが。
「ふむ。この帆船に装備されている大砲は青銅製か。この帆船を手配してくれた松平家の者が言った通り、流石に鉄製の大砲を渡してくれるほど、日本本国の軍関係者は気前は良くなかったようだな」
重秀は半ば聞こえよがしに愚痴る羽目になっていたが、その言葉の一部は物騒極まりなかった。
「この際、鉄製の大砲を作るか」
「本当にやりますか」
その声が聞こえた部下の一人も、重秀と同様の考えのようで加担するようなことを言った。
「この地ならば、日本本国の目も届くまい。それに松平家や武田(上里)和子殿も大目に見てくれよう」
重秀は含み笑いをしながら言った。
そう、雑賀衆はライフル砲製造について、様々な方法を駆使することで知識を身に着けていたのだ。
これは倭寇集団に雑賀衆の一部が加担したこと等をきっかけとして知識を得ることになったのだが、日本本国では政府の監視の目がきつくて、実際のライフル砲の製造等は不可能に近い話だった。
だが、この北米大陸、それも辺境と言えるニューオリンズの地ならば、政府の監視の目も行き届くことは無く、ライフル砲の製造が可能だろう。
それにそうしたことをすれば、ライフル砲が対スペイン戦において是非とも欲しいと願っている松平家や武田(上里)和子殿らも、自分達の雑賀衆を更に重用してくれるだろう。
重秀はそこまで考えを進めていた。
もっとも。
「まずはカリブ海での操船技術を学び、そして、カリブ諸島侵攻作戦を成功させよう。それで儲けて行けば十分か」
重秀は少し乾いた見方もしていた。
カリブ諸島侵攻作戦を成功させて、カリブ諸島を日本の植民地にして米等を栽培させて、それによって得られた物産を運んで自分達は収益を上げればよい話だ。
本来から言えば、鉄製の大砲を作る必要性がある事態等は起きる筈がないからな。
スペインと戦争をするのには、青銅製の大砲があれば充分だろう。
だが、重秀の考えは徐々に変わっていくことになる。
第21章はこれで終わり、次から新章の第22章になります。
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