第21章ー12
そういった略奪品の売買を行って利益を上げる一方で、小早川道平(上里正道)は、インド株式会社本社や本国政府に対して、松平元康や姉の武田(上里)和子の頼みを受けて、ニューオリンズ港に蒸気船の建造所(兼整備所)を作るように、この頃は懸命に運動していた。
このことについては、カリブ海に展開している海軍の艦艇整備にも関わることであり、実際に艦艇をカリブ海で活動させてみると、それなりどころではない整備の手間暇が掛かり、更に実際に本格的な整備を行うとなると、それこそドレーク(ムラカミ)海峡を越えてサンディエゴ港に向かうか、喜望峰を越えてコロンボにまで遥々と向かうかしかない、という現実が突き付けられてしまった。
更に言えば、ドレーク(ムラカミ)海峡越えも喜望峰越えも名にしおう航海の難所でもある。
そういったところを損傷した艦艇が通るのは余りにも危険な話になる。
こうしたことから、現実に鑑みて、ニューオリンズ港でも蒸気船の建造、整備ができるように海軍工廠を作り、又、民間の造船所も作られることが1562年の秋にようやく決まった。
とはいえ、すぐに造船所の建設が完了すること等は、それこそ日本本土から工作機械等の様々な資材を運び込まねばならない関係一つとっても不可能な話で。
海軍工廠と民間造船所の建設は何とか1562年中に始まったが、実際にニューオリンズで蒸気船の建造が始まるのは1565年になってからであり、実際に第1号の蒸気船が竣工して処女航海を行うのは、1566年にずれ込むことになる。
だが、その一方では。
「帆船の建造所が完成して、順調に帆船を建造できるようになって良かった」
「これで大アンティル諸島への侵攻作戦が、明年春には開始できそうですな」
「キューバ島にイスパニョーラ島、ジャマイカ島が主な侵攻先になりますな」
「その3つの島をまずは抑えて他のプエルトリコ島等も占領していき、小アンティル諸島やバハマ諸島も順次、占領して植民地化を進めていきましょう」
この前後に松平元康と武田義信夫妻を中心とする面々は会話を交わしていた。
「本当は蒸気船で侵攻作戦を行いたいものですが、それでは余りにも先になりますしな」
「一刻も早く、米を作りたいですからな」
「米が採れないのならば、米が採れる土地を奪って米を採ればいいのです」
「これは物騒なことを言う奥方だ」
武田(上里)和子の言葉に、松平元康は半ばツッコミを入れ、武田義信は妻の言葉に苦笑した。
「それにしても、本当に侵攻作戦を行うとなると、大砲が欲しいものですが。日本本国から大砲製造の許可は下りそうですかな」
「大砲の貸与はしてくれそうだが、製造許可までは難しそうだ、と日本本国政府との交渉の主な窓口になっている義弟の道平は言っております」
元康と義信は会話を続けた。
「本願寺の方にも当たってみましたが、顕如殿も流石に大砲製造は無理でしょう、との口振りでした」
下間頼廉が口を挟んだ。
「鉄砲鍛冶はまだいますが、大砲鍛冶は流石にいませんからな。職人を呼ぶのも難しい。故郷の備前の方などに伝手は無いかな、と考えてみましたが、それこそ旧式の滑腔砲なら倭寇集団が何とか作っているかもしれませんが、現在の主流と言えるライフル砲となると、とても伝手がありません」
宇喜多忠家が頭を下げながら言った。
「となると、大砲に関しては貸与で我慢するしか無いでしょうな。どちらにしても帆船には自衛用に大砲を備え付けるのが必要不可欠ですし」
「海軍もそれなりに協力してくれそうですが限度がありますから。輸送用の帆船には自衛用の大砲を備え付けておかないと」
元康と義信は見解を一致させ、周囲にいる面々も肯いた。
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