第21章ー7
かくしてカリブ海において、日本海軍は1つが4隻の機帆船から成る3つの戦隊を編制しての通商破壊作戦を展開することになった。
そして、早速、その獲物になったのが何かというと。
「砂糖か。つい懐に入れた上で舐めたくなるな」
「こらこら、気持ちは分かるが、それは駄目だ。きちんと数量を上官に報告しろ」
「はっ」
とこんな感じのやり取りが多発した砂糖。
「奴隷とはな。外れだな」
「外れとは何だ。こんなにいい奴隷が揃っているのだぞ」
「ああん。日本では奴隷は禁止だ。奴隷は無料解放される」
「そんな大損だ」
「知るか、そんなのお前の都合だ。それから新大陸の港でお前は無料解放してやるから」
「そんなどうやって帰国すればいい。金なら帰国した後で何とかするから帰国させろ」
「そんなの俺達が知ったことか。奴隷商人なんて阿漕な商売をしたツケだな」
「俺達は悪いことはしていない。日本人は悪魔だ」
とこんな感じのやり取りが多発した奴隷。
この2つが日本の通商破壊戦において主な獲物になってしまった。
(更に言えば、奴隷商人の多くがニューオリンズ港で解放された後、生活の糧を得るために自分達が連れてきた奴隷と結果的に共に日本人の下で農業労働者等として働くことが多発したのは自業自得だろう。
奴隷の身から解放されて自由の身になったとはいえ、働かねば食べていけないのが現実である。
更にこの当時のミシシッピ川流域の日本人農園主は農地の大規模な開拓を進めようとしている一方で、深刻な労働力不足に喘いでおり、それこそ農業労働者の確保に狂奔している現実があった。
こうしたことから、松平家や武田家を始めとする日本人農園主は、こういった解放奴隷や元奴隷商人を農業労働者として積極的に雇用していたのだ。
もっとも真に有能だったというか、一部の奴隷商人に至っては、後々でそれこそ北米大陸へのヨーロッパやアフリカからの移民を積極的に奴隷ならぬ年季奉公人という形で積極的に斡旋して自らの私腹を肥やそうと努めることになる。
更にこういった移民がヨーロッパやアフリカから来たことが北米大陸の発展を促す等の事態も引き起こすのだが、それは現段階では語られない話になる)
ちなみにこういった通商破壊における最上の獲物になる筈の金銀についてだが、この1562年6月からこの年一杯に掛けては、日本海軍の獲物には中々ならなかった。
これはメキシコの銀については、日本とスペインの直接の戦禍に巻き込まれたことから、安心して採掘するどころの話にならなくなり、採掘された銀についても、結果的にはスペインへと運ばれる航路に載せられること無く、メキシコの現地において日本に差し押さえられる事態が多発したからである。
また、ペルー等の銀については、カルタヘナ等の港湾から小アンティル諸島方面を経由して、スペインへと向かう航路を多くが取ったことから、日本海軍の獲物には余りならなかったのだ。
とはいえ、全く日本海軍の通商破壊の獲物から、メキシコやペルーからスペインへと運ばれる金銀が免れることはできなかった。
「異国、ヨーロッパでは恵まれた立場に産まれたことを意味する「銀の匙を銜えて産まれて来た」という言葉があるそうだが、永子様の御子は「銀の塊を銜えて産まれて来た」ということになりそうだな」
村上武吉少佐は豪快に笑うことになった。
キューバのハバナ港は、この当時においてメキシコ、ペルーの金銀を積んだ船が集合した上でスペインへと向かう一大中継拠点となっていた。
こうしたことを情報収集で知った村上少佐は、ハバナ港沖合で待ち伏せを行い、大量の金銀を奪うことに成功したのだ。
この件で村上少佐は「日本最大の海賊」と謳われた。
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