第20章ー17
「確かにそうだな。砲撃で土塁は崩せる。問題はその先だ。土塁が崩れても、塹壕が埋まらないようにそれなりの距離、具体的には土塁を我々が乗り越えれば、すぐにスペイン軍の銃撃が行えるほどの間を空けた上で塹壕が築かれている。しかも、途中に交通壕を築くことで、後方の塹壕から容易に増援が向かえるようにもスペイン軍の野戦築城は行われている。これは中々攻めにくい」
下手に武田晴信大佐と陶隆房大佐が直に論じ合っていては、二人の議論がすぐに口喧嘩に発展すると判断した戸次鑑連が口を挟んで、自分の判断を述べた。
この戸次将軍の言葉は、武田大佐も陶大佐も肯ける言葉であり、この場にいる日本軍の幹部のほぼ全員の考えを取りまとめたともいえる言葉でもあったので、ほぼ全員が肯き、その場の空気を冷ました。
その空気を踏まえて陶大佐が言葉を継いだ。
「更に付け加えたいことがあります。実地にいなかったので推測に過ぎませんが」
陶大佐はスペイン軍とその場で戦っていないので、あくまでも推測であると断った上で、以下のように更なる言葉を継いだ。
スペイン軍は夜間なので実行しなかったが、二線目の塹壕の後ろに大砲を直射できるように備えていたのではないだろうか。
その推測の根拠だが、土塁と最初の塹壕の間に畝状の竪堀が見受けられることである。
昼間の砲撃によって土塁が崩されて、そこから日本軍の将兵が雪崩れ込んできた場合、畝状竪堀があれば必然的に竪堀の底を日本軍の将兵は進まざるを得ない。
そこに銃撃を浴びせるのみならず、砲撃も浴びせようとスペイン軍は考えているのではないか。
陶大佐の落ち着き払った口ぶり、理路整然とした説明は、その場の空気を更に落ち着けさせた。
「そう言われてみれば、確かに思い当たる節がある。最初の攻撃で山県昌景少佐が重傷を負ったので、儂もこれ以上の被害続出を懸念して、早期に攻撃を打ち切ったのだが」
武田大佐も前置きをして、言葉を継いだ。
最初の土塁を乗り越えた際に、幾人もの将兵が二線目の塹壕の向こう、後ろ側に大砲があるのを目撃していたというのだ。
更にその大砲の周りには人がいた、日本軍の突撃に慌てていたようだった。
恐らくだが、日本軍の嵐のような短時間の砲撃をスペイン軍は予測しておらず、そのために慌ててしまい砲撃が行われなかったようだ。
尚、本来なら夜襲の勢いを駆って、こういった大砲の鹵獲まで試みるのが本来なのだろうが。
夜襲によりスペイン軍の陣地確保に成功したこと、更に急きょ行われた夜襲のために少なからず日本軍の指揮統制がスペイン軍の陣地確保直後は混乱していたと言っても過言ではない状況だったことから、日本軍が混乱を立て直す間の隙間時間の間に、スペイン軍の大砲、砲兵は慌てて後退してしまったようで、日本軍が混乱を立て直した際には、日本軍の将兵の視界内にスペイン軍の大砲は無く、スペイン軍の大砲の鹵獲は結果的になされていない。
こうしたことから、武田大佐の言葉も完全に憶測と言ってよい話になってはいる。
だが、この武田大佐の言葉は、この場に集った日本軍の幹部の空気を更に重くした。
「畝状竪堀とは。その奥に旧式とはいえ大砲があっては厄介どころの話では無いぞ」
戸次将軍は少し愚痴るように言って、陶大佐も肯いた。
畝状竪堀はどちらかといえば、九州北部や日本海側の沿岸地域の城塞に多い代物だった。
特に筑前の秋月氏は、城塞の周囲に畝状竪堀を築くのを好んでいた。
こうしたことから筑前と縁が深い戸次将軍や陶大佐は畝状竪堀の厄介さを熟知していたが、甲斐出身の武田大佐らはその脅威を具体的には余り知っておらず、戸次将軍や陶大佐の苦悩がすぐには分からなかった。
この時、スペイン軍が築いていたのは平地に築いていた以上、厳密に言えば畝状竪堀とは言えませんが、読者への分かりやすさ優先で畝状竪堀と書いています。
(畝状竪堀は基本的に山城防衛のために山岳地帯の傾斜を活用して築かれる代物です)
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