第20章ー1 メキシコ侵攻作戦発動
第20章の始まりになります。
そういった後々で大きな動きになる陰謀が、ニューオリンズで巡らされている頃。
日本の正規軍はようやくメキシコ侵攻作戦の準備を調える事が出来ていた。
「全く、民間船の徴用についての補償問題まで泥縄になるとは」
「仕方ありませんよ。本来から言えば準備万端、相整えた上で侵攻作戦を行う予定だったのに、スペインの方から侵攻してきたのですから」
「だが、スペイン軍は本当は侵攻はしてきていないのだろう」
「ええ、大方、我々の現状を探りに来た斥候、偵察部隊が誤って我々の集落に接近し過ぎ、それに過剰反応した現地の民兵が戦闘に突入して、我々の民間人にまで死傷者が出たという辺りが真実ですね。普通だったら、スペインが詫びを入れて、それなりの償金を払うことで収まる話でしょう。そうでなければ、あの戦闘の後、スペイン軍の大部隊が速やかに動いている筈です」
「だが、我々にしてみれば絶好の開戦の口実と言う訳だ。更に言えば、現地の植民者が激昂していて、本国にもこの状況が伝わっている。こんな中で開戦しない訳には行かないか」
「ええ、そういうことです」
戸次鑑連将軍と真田幸綱将軍は、諦めの極致にいるような会話を交わしていた。
ともかく2月の末にスペインとの戦争に日本は突入したのだが。
戦争の準備が色々な面で日本側は整っていなかったのだ。
日本(より正確にいえば軍部を中心とする強硬派)としては、村上武吉少佐が操る軍艦「睦月」がニューオリンズ港に無事にたどり着き、そこからの連絡があり次第、後続の軍艦、機帆船11隻をサンディエゴ港からニューオリンズ港に送り込むつもりだった。
更に本国に対して、民間船の徴用開始を要請して、民間船の徴用を開始する。
そして、徴用された民間船によって、カリフォルニアに展開している4個旅団の内3個旅団の海輸の準備が整い、更にニューオリンズ港に軍艦、機帆船12隻が展開して、カリブ海で通商破壊戦を展開する準備が万全に整った段階で、日本はスペインに宣戦を布告するつもりだった。
そう日本(の強硬派)としてみれば、日本とスペインが本格的に戦争状態に突入するのは、早くとも5月以降になる筈だったのだ。
(より正確に言えば、日本国内の穏健派(平和派)は、対スペイン戦争については1562年初頭段階に至っても、今上(正親町)天皇陛下の意向もあってかなりの勢力を持っているという現実があった)
そういったことからすれば、2月末の時点で日本とスペインが開戦に至ったというのは、少し時期が早かったというのが現場の本音だった。
とはいえ、実際に開戦に至った以上は、現場としてはそれなりどころではない対応をせざるを得ない。
こうしたことから、カリフォルニア等の北米大陸西海岸に移民を運んできた移民船や交易のために物資を運んできた商船を、北米大陸に展開していた日本軍が片端から徴用しようとする事態が起きた。
更に言えば、無線通信が実用化され、普及していない以上、移民船や商船の船長にしてみれば、北米大陸の港に入港早々に本船を徴用すると言われる事態となった。
そうしたことから、そんなことは聞いていないと各船の船長や船員が抗議する騒動となった。
更に厄介なことに。
商船というものは徴用すれば、それで終わりではない。
商船を運用する必要上、その商船に乗り組んでいた船員もそのまま徴用する必要が基本的にある。
そして、船員はこの余りの状況の急変に様々な伝手を頼って、大日本帝国全労連(結成準備会)に駆け込んで補償問題等を訴えたことから。
「きちんとこうした場合には船員等への補償を行え」
と織田信長らが船員らに労働組合の結成を指示して、全国的な行動を起こす事態となった。
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