第19章ー25
1862年4月、ニューオリンズの地に武田和子は夫の武田義信と共に赴いていた。
そして、この地で初めて和子は弟の小早川道平(上里正道)の妻、義妹の小早川永子と会い、親交を温めることになった。
また、義信も義弟の道平と久闊を叙す一方。
「オレゴンの大地でも稲作は困難だ。カリフォルニアで稲作をやってはいるが、自分の家の食い扶持を作るのに四苦八苦する有様、そうした時に、妻から発想の転換で提案されたこの件には驚いたぞ」
「妻や私にしてみれば、父の関係から聞いていたことで、思い当たったのです」
「成程な。確かに普通の日本人なら思いつかない発想だ。松平元康殿も乗るだろう」
義兄弟は肩を組んで語り合った。
一方、その近くでは。
「呉越同舟、大同団結と行きますか」
「米を共に食べられるとあっては、共同戦線を組まないわけには行きますまい」
宇喜多忠家と下間頼廉が、そう前置きをした上で色々と実務的な話を詰めていた。
そうこうしていると松平元康らも春日虎綱に先導されてニューオリンズに到着した。
一応、全員が対等の立場ということで、松平元康、武田義信夫妻、宇喜多忠家、下間頼廉、小早川道平の6人が車座になって座っている。
とはいえ、実際にこの場を仕切るのは、この件を提案した武田和子だった。
和子は周りの5人を見回した上で発言した。
「カリブ海の島々を、我々が尖兵となってスペインから奪い、我々、日本の植民地にしませんか」
「その主な目的は」
「言うまでもなく、カリブ海の島々で米を作るためです」
言わずもがなかもしれないが、松平元康が和子に問いかけ、和子が即答した。
他の4人は既にある程度は和子から話を聞いていたので、取りあえず沈黙を保っていたが、元康にしてみれば、どのような発想で和子がそう考えたのか、詳細を問いただす必要があった。
「カリブ海の島々で稲作をしているのですか」
「今はしていません。しかし、気候等の問題から極めて有望なのです」
和子は、そう言った後、何故にそのような発想に至ったのか、を諄々と説明した。
以下、その説明になる。
現在、台湾が琉球王国によって植民地化されつつあるが、その地で米を琉球王国政府は作ろうとしている一方、現地の植民者の間ではサトウキビを作ろうとする動きが起こっている。
植民者にしてみれば、米よりもサトウキビの方が現金収入につながるからだ。
そのために琉球政府は米を高値で買うことで、米生産の奨励を図っているがかなり苦労している。
稲作の適地はサトウキビの適地でもあるからだ。
そして、カリブ海の島々では現在、サトウキビの生産が盛んに行われている。
これを台湾の問題を参考にしてみるならば、カリブ海の島々は稲作の適地ということにもなる。
更に言えば、カリブ海の島々を抑えれば、西アフリカとの交易も視野に入る。
西アフリカではアフリカ米が生産されており、皇軍情報によれば、アフリカ米が皇軍の世界ではカリブ海に移植されて生産されることもあったという。
こういった情報を述べた後、和子は元康に対して、
「いかがです。カリブ海の島々を征服して米を作りませんか」
とそれとなく誘った。
和子の言葉を既に聞いていた元康以外の面々も、和子の言葉に深く肯いている。
「ふむ。他の方は全て根回し済みという訳ですな。これは私も乗らないわけには行きますまい。米を作れるとあらば、むしろ積極的に賛成させていただこう」
元康は和子の誘いに応じることにした。
「それでは日本本国に対して、我々の計画を伝えて承認を受けましょう。そのために、ここにいる全員のお互いのコネを駆使して本国の承認を受けられるように努めましょう」
和子はこの場を締めくくり、他の全員が同意した。
これで第19章は終わり、次話から第20章になります。
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