第19章ー20
ともかくそういった背景事情から、メキシコ方面にいるアルバ公の軍勢は、総数2万人を少し超える数が帳簿上はいる筈だったが、実際の兵数は2万人を切っており、更に動ける兵となると約1万8000程度に減少していた。
そうした中で比較的損耗率が高い部隊を予備としてメキシコシティ周辺に後置しておくこととし、損耗率が低い部隊を選んだ上で約1万2000を率いて、アルバ公は松平家等の民兵隊を迎撃に向かわざるを得なかった、という次第だった。
松平家等の民兵隊を迎撃するために向かっているアルバ公は、自らの率いる軍勢の内実に不安を覚えざるを得なかった。
約1万2000人程の指揮下の部隊は、騎兵約2000、歩兵約1万を数えてはいたが、砲兵を欠く事態を引き起こしていた。
これは機動性を重視したためであり、アルバ公としても苦渋の末の決断ではあった。
更にほぼ同数の兵站等を担う段列部隊が後続してはいるが、これは現地民を半強制的に徴募した上で編制されたものであり、自衛用の武器としては刀槍しか持っていない。
(アルバ公自身も承認したことだが、これは現地民から成る段列部隊が万が一、反乱を起こす事態を警戒したためだった)
そのために、段列部隊は戦闘の際には役立たないものとして、後方に下げる必要があった。
これに対して、斥候部隊の報告によれば、日本軍(松平家等の民兵隊)は約1万を数える筈で、兵数的には自軍とほぼ差が無いとみなさざるを得なかった。
(実際には戦闘部隊が約6000程で、残りは段列部隊だったが、そこまでの詳細をアルバ公は把握してはいなかった)
幾ら(欧州の戦場において)常勝不敗を謳われるテルシオ歩兵隊8個(実際には各テルシオ歩兵隊は約1500人程から成るが、損耗によって各テルシオ歩兵隊は1200人から1300人程に減少している)を自らが率いていて、更にカラコール戦術を駆使できる騎兵が2000人いるとはいえ、全く戦場で相対したことのない相手ではある、兵数から言っても、気軽に叩ける相手ではないと歴戦の軍人としてアルバ公は考えながら進軍することになった。
これに対する松平家等の民兵隊は、約6000名の戦闘部隊と約4000名の段列部隊から成っていたが、段列部隊も銃剣付きの火縄銃をほぼ全員が装備していた。
(もっとも、段列部隊の銃は通常は幌馬車に山積み状態で、奇襲された場合等においては段列部隊は慌てふためくことになるが)
そして、戦闘部隊の内、騎兵が約1000名、歩兵が約5000名であり、実戦部隊の兵員数で言えば約半分と言ったところだった。
とは言え。
戦闘部隊においては、歩兵も騎兵も前装式ライフル銃が標準装備となっており、1割程に至っては後装式ライフル銃さえ装備していた。
尚、後装式ライフル銃は松平元康の判断で、一つの部隊にまとめて運用されている。
これは銃弾の流用を部隊内で容易に行えるようにするためだった。
そして、スペイン軍も松平元康らの民兵隊も、お互いに騎兵の斥候を部隊の前に複数放っており、その結果として、ほぼ同時にお互いの部隊を発見することになった。
更に、お互いに決戦を意図していたこともあり、お互いに有利な状況で戦おうと自らが有利であると考える方向に軍を機動させあうことになったが。
アルバ公は少し拍子抜けする一方で、不気味な想いに囚われた。
眼前の日本兵たちは、全て銃を装備しているようであり、又、極めて機動力が高かった。
これに対する自分達の歩兵は、自分達にこれまでの勝利をもたらしてきた方陣を築いて、日本軍の攻撃を待ち受けようとしていた。
だが、方陣の宿命、代償として機動力が低く、移動可能な城塞と言われる代物だった。
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