第19章ー9
そんな混乱が日本側では起こる事態になったのだが。
実はスペイン側にしても、意図して先制攻撃を日本に加えた訳では無かった。
それこそ複数の斥候部隊を送って、日本側の戦争の準備等の状況を探ろうとしていたところ、その斥候部隊の一つが、スペイン側に知られていなかった日本人(及び少数の原住民から成る)集落、アラモ集落を発見した次第なのだ。
当然、その斥候部隊はその集落、アラモ集落の詳細を探ろうとしたが、生憎とこの時代のスペインの斥候部隊なので、望遠鏡等を持っておらず、肉眼で探るしかなかった。
そのためにアラモ集落に対し、ある程度の接近を斥候部隊は図らざるを得なかったが。
この動きは、アラモ集落側の見張り台によって察知されていた。
アラモ集落の見張り台には、望遠鏡が備えられており、不審な動きがあれば、すぐに望遠鏡で確認することができる態勢が整えられていた。
そのために、アラモ集落側の方が、余裕をもってスペインの斥候部隊を迎撃する準備をすることができることになった。
そして、烽火と煙によって、他の集落にも警報を発した。
更にその警報によって、アラモ集落周辺の警戒に当たっていた酒井忠次率いる民兵隊も、アラモ集落に駆けつけることになったのだが。
ここで双方の思惑違い、行き違いが生じていた。
スペイン側はあくまでも、日本側の行動を探るための行動として斥候部隊を派遣していた。
一方、日本側(というか松平家側)は、これがスペイン側の本格的な侵攻作戦の前触れであり、斥候部隊は文字通り、侵攻部隊の前衛部隊の一つであると判断していたのだ。
そして、日本側はスペイン軍は狂信者の集まりであり、民間人であっても容赦なく虐殺する存在で、異教徒なら尚更である、と皇軍の情報によって思い込んでいた。
(実際、史実を見る限り、皇軍の情報もあながち間違っているとは言えない。
フランス大革命どころかフランス7月革命後まで、スペインの異端審問は現役であり、異端者と告発され、疑われた者に対して容赦なく拷問を加えて、虚偽の自白をさせて火炙りにする存在だったのだ)
従って酒井忠次は、まずはスペイン軍の斥候部隊を殲滅することで、後続の侵攻部隊の耳目を塞ぐのが最優先であると考えた。
下手に斥候部隊を取り逃がしては、こちらの警戒態勢がスペイン軍に筒抜けになり、後続の侵攻部隊によって、却って民間人の被害が大きくなると考えたのだ。
そのために酒井忠次は、指揮下の民兵隊を斥候部隊の背後に迂回させ、確実に包囲殲滅することにしたのだが、この行動は結果的にアラモ集落へ斥候部隊が接近するのを容易にした。
そして、アラモ集落のすぐ近くで、スペインの斥候部隊と酒井忠次率いる民兵隊とは戦いを演じるという展開になってしまった。
酒井忠次は巧みに民兵隊を指揮して、武器の優越(日本側の民兵隊員は全て銃剣付きの前装式ライフル銃装備なのに対して、斥候部隊の3分の1がマスケット銃を持っていたにすぎず、他は槍を装備している有様だった)もあり、斥候部隊を包囲殲滅したのだが。
その際に、日本の民兵隊とスペイン軍双方の流れ弾が、アラモ集落に飛び交う事態になってしまった。
そして、流れ弾によって、アラモ集落にいた複数の女子どもまでが死傷する事態になったのだ。
酒井忠次は後悔したが、今更どうしようもない。
この際、全ての責任をスペインの斥候部隊に押し付けて自分達に正義があったということにするしかない、と酒井忠次は判断し、松平元康らにそのように報告して了承を得た。
そして、そのような発表が為されたという次第だった。
更に犠牲者は本願寺門徒であったとして、本願寺門徒の怒りも掻き立てたという次第だった。
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