第19章ー3
「日本とスペインが戦争に突入したのですか」
「ああ、そう言えば村上殿は南米大陸を回って、この地に着いたばかりだったな」
村上武吉少佐の問いに、改めて気が付いたかのように、田坂全慶は言った。
どこまでが演技で、どこまでが本音なのか、村上少佐が戸惑っている間に、田坂の言葉は続いた。
「先日といっても2月末の話になるが、テキサスのアラモの地を開拓していた日本人の村を、スペイン軍の斥候隊が襲って来た。生憎と正規軍こそいなかったが、松平家の酒井忠次殿が率いる民兵隊がいたので、斥候隊を撃退することはできたのだが」
田坂はそこで言葉を切って、天を仰いだ後で話を続けた。
「その際に、民間人がスペイン軍の銃弾を受けて、複数の女性や子どもが殺された。そのことで、北米の日本人ほぼ全てが激怒している。そして、アラモの恨みを忘れるな、と皆が叫んでいる」
「それは」
田坂の言葉を聞いた村上少佐は絶句するしかなかった。
勿論、間もなくこちらから戦争を吹っ掛けようとしていたのだから、スペイン軍の行動は半ば渡りに船と言える話ではあったが。
村上少佐の見る限り、日本の挑発行為にスペインが引っかかったようにしか思えない。
確かにスペインと日本の植民地の間に、現在は国境等はあって無きが如きもので明確ではない。
それに原住民とはある程度の距離をもうけて、日本人の開拓村を設けてはいるが、原住民すべてと日本人が友好関係を確立している訳でもない。
そういった事情から、特にスペインとの国境に程近い開拓村では、自衛のためにそれなりの規模の民兵隊が組織されており、村同士が連携してスペイン軍の襲撃に備えているとは聞いていたが。
村上少佐の見るところ、女性や子どもが犠牲になった、というところに謀略の臭いを感じる。
その女や子どもは、原住民との紛争の結果、半ば人質になっていた原住民ではないだろうか。
こういった紛争の際に、足手まといになる女や子どもは後方に送るなり、厳重に守るのが基本だ。
それが殺されたとは、どうにも臭う。
日本人が北米大陸への植民を始めて以来、原住民との関係は頭痛のタネであり続けている。
割合的にだが、主に農耕を行っている原住民と日本人は友好関係を築いて、原住民の自治を尊重して、お互いに交易も行って、という関係を確立しているところが多い。
しかし、主に狩猟採集生活を行っている原住民と日本人との関係は、割合的に折り合いが悪く、紛争が絶えない事態がしばしば起きている。
更に言えば、狩猟採集生活の傍らで略奪を半ば生業としている部族(氏族)もいて、こういった輩と日本人とは宿敵に近い関係に陥っている場合まであった。
こうした時、半ばやむを得ないことながら、日本人とその原住民は戦い、その結果として、原住民の中で戦士となる大人の男は殺され、残された女子どもが日本人に半ば使用人扱いされて共に暮らすようになることは、この当時では稀では無かった。
尚、半ばと敢えて付け加えたのは、この辺りの身分が結構流動的だったからである。
原住民の女性を妻にして、更に子どもまでできたら、家族の一員だから、ということで、周囲もほぼ差別することは無かったからだ。
中には連れ子を利発だからとして、養子にする例まであった。
(そして、余談になるが。
遥か後世において、こうした日本人の行為が、この当時の米大陸の原住民の社会を破壊し、多くの原住民の部族を結果的に絶滅させた、と多くの欧州の歴史家が指弾することになり、一部の日本の歴史家も同意することになるが。
それはあくまでも結果論であって、この当時の日本としては、善意から彼らとの関係を作っているつもりであり、悪いとは思っていなかった)
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