エピローグー5
文中に本願寺広場とありますが。
本願寺は既に京都へと移転済みです。
しかし、石山本願寺の一角が広場として残されており、本願寺広場という通称で呼ばれているということで、どうかお願いします。
「ここに大坂全労連を結成する」
「応」
「労働者、働く者の要求を、政府に平和裏にぶつけよう。そのために、最終的には政府に憲法を制定させて、その憲法で我々の権利を保障させよう」
「応」
「それぞれの働く場所で組合を作り、仲間を増やしていこう。そして、縦横斜めに組織を作り、自分達の住む地域に根を張った団体にしていこう」
「応」
織田信長は、1557年5月1日、大坂の本願寺広場の一角を借りて、大坂全労連の結成総会を開催していて、仮の議長も務めており、総会で演説をしていた。
その場には未だに100人程に過ぎなかったが、大坂の複数の工場や事務所から、若手労働者が集っており、信長を取り囲んでいて、その熱気に溢れていた。
「我々は、勿論、雇用主と賃金等の雇用条件改善の交渉もするが、それと同時に政府も相手だ。様々な要求を突きつけて、交渉を求めて、政府に改善させていこう」
「応」
「まずは、20歳までに結婚して、安心して子供を産んで育てられるように、せめて、3人以上の小学生以下の子どもを持つ親に対する育児手当の支給を政府に求めよう」
「応。ただ、それは織田信長議長の個人的な要求が、多分に入っているぞ。それはいいのか」
「ばれたか」
信長の演説中に、その場にいたある労働者からすかさずヤジが飛び、それに対する信長の返しに、その場は笑いに包まれた。
だが、その笑いは温かさに溢れている。
その場に集った多くの労働者にとって、それは切実な願いだったからだ。
大坂に出稼ぎ等に来たのだ、ここで幸せな家庭を築き、更に安心して子どもを育てたい。
そう多くの者が願っていた。
ちなみに、この信長の行動について、義父の上里松一は黙認している。
いや、むしろ裏から本願寺等のコネも駆使し、この行動、運動について、政府が過激な弾圧行動を起こさないように、フルに松一は働きかけている。
松一にしてみれば、平和裏に要求を突きつけ、交渉を求める集団の行動を下手に拒むと、集団が過激化する危険性が高い、と考えていた。
しかも、その集団の指導者が織田信長なのだ。
下手をすると、本当に暴力革命を、織田信長がこの世界の日本で起こすようなことになりかねない。
それを避けるためには。
個人的な知己でもある辻政信将軍や岩畔豪雄将軍らには、直接、面談までして、松一は事の危険性を訴えて回った。
「労働組合で平和な行動に止まる限り、これを黙認しましょう。それとなく治安警察の監視下にはおきますが、武装行動に至った段階で弾圧すべきです。何しろ相手は、織田信長ですよ。平和な行動を弾圧して、平和な行動も許さないのか、と過激な武力蜂起に織田信長に奔られたら、トンデモナイことになるのでは」
「確かにな」
「織田信長が娘婿である以上、私もできる限りの目を配りますから」
「うむ。よろしく頼む」
辻将軍も岩畔将軍も、相手の格というものを、織田信長には感じざるを得ない。
織田信長を闇で暗殺する、ということも二人の頭を過ぎったが、既に織田信長はそれなり以上の有名人で、人脈も幅広い存在だ。
暗殺が必ず成功する代物で無い以上、そう危険は冒せない。
そう言った次第から、皇軍上層部も織田信長の行動については暗黙の了解をし、大坂全労連の行動を、現在の日本政府は黙認するという態度を執っている。
そして、織田信長も義父の松一の配慮を察していた。
本来なら、インド株式会社の経営者として、この行動を義父は咎めて当然なのだ。
それなのに、自分の行動を黙認している。
そして、インド株式会社の態度から、大坂の他の多くの雇用主達も大坂全労連に対し、お手並み拝見という態度を示しているのだ。
信長はよい義父に恵まれた、と心から感謝していた。
これで、第3部を終えて、一旦、完結させます。
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