第16章ー23
場面が変わり、琉球王国の1556年時点での現状になります。
さて、そんな風にオーストラリアでは、足利義輝らがうらやんでいること等、琉球では全く知らないことだった。
そして、同じ頃、琉球では昨年に崩御した尚清王の跡を継いだ尚元王が、ある人物の墓を訪ねていた。
墓の前では、その人物の娘婿になる三司官の一人、国頭親方正格が待っていた。
「わざわざお越しいただきありがとうございます」
「うむ、改めて売国奴の汚名を被ってでも、祖国の名を遺した者の墓を詣でて顕彰しようと思った。それにしても、急に儚く亡くなったものよ。更に息子を後継者に事実上はせず、娘婿を指名するとはな」
「それだけ、親方の間で義父は反感を抱かれていましたから、義父がいなくなった今、義兄は針の筵に座っているようだ、と嘆いております。私にしても多くの親方から敵意に時々さらされます」
「わしも庇いたいが、限度があるからな。それにしても、国の独立を護る、言うは易きことだが、実際は難しいことだ。それも思わぬことが起きる程な。お前の義父のような勇断は中々できることではない」
「過分なお言葉です」
尚元王は、正格と会話を交わした。
正格は目の前にある義父、真徳の墓を前にして、改めて想った。
本当に14年余り前の皇軍の来訪、あの時、義父の懸命の提言が無く、皇軍と交戦していたら、琉球王国は完全に滅んでいただろう。
だが、義父が懸命に弁じて、琉球王国内の反対論者を説き伏せ、また、皇軍幹部と義父が懸命に交渉した結果、外交権は失ったが、警察軍程度の軍隊は維持でき、琉球王国内の内政自治は守られたのだ。
そして、島津家の失策もあったが、我々の琉球王国は、奄美諸島、先島諸島を自らの領土と呼べるようになり、更に皇軍から情報を得た結果、台湾を自らの植民地として開拓できるようにもなった。
今でも、琉球王国が外交権を失い、軍隊も削減されたことを陰では嘆く国粋派が、それこそ親方衆の中には、それなりどころではなくいるのが現実だから、存命中の義父はある意味、皇軍の武威を背景に武断的な態度を執らざるを得ず、そのことがますます親方衆の反感を買った。
国粋派の一部が、明帝国に救援を求めた際、厳しい処分ができず、隠居と子弟への相続を認めるという処分に止めざるを得なかったのも、それが一部の原因だ。
だが、客観的、国外の視点から見れば、義父のお陰で、琉球王国は内政自治を護り抜くことができ、日本の属国と言えば属国だが、琉球商人は日本商人と同様の特権を謳歌して、インド洋方面にまで赴き、莫大な交易による富を琉球王国にもたらしているのだ。
更に領土的には、過去最大の領土を琉球王国は持つようになった。
そういう観点からすれば、義父は琉球王国を見事に維持し、発展させることに成功したと言える。
それにしても、と正格が思っていると、尚元王も同じ思いを実はしていたらしい。
「あの上里松一という男、元は皇軍の少尉で、今は転職してインド株式会社の重役になっている男だが、あの者が400年未来の琉球から来たと言うのは本当なのだろうか。あの男が真徳と共に行動してくれたからこそ、琉球王国は救われたと言ってもいい。ここまでの偶然、奇跡があるだろうか」
「本当ですな。そして、あの者の妻、愛子ですが、どうも義父の縁者のようです。義父は実の孫のように、愛子を陰ながら愛おしんでいました」
「何とそれは二重の奇跡だな。祖父と義理の孫が組んだお陰で、琉球王国は維持されたか」
尚元王と言えど、本音は日本から琉球王国を独立させたい。
だが、現実的観点からすれば、日本の属国のままでいるしかない。
真徳のしたことに対して、複雑な想いを自身がせざるを得なかった。
そして、それは正格にしても同様だった。
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