第16章ー21
感想を読んで、一部、描き替えましたが。
ここに出てくる二人は、共にポルトガル本国で結婚して、家族を持っていたものの、軍人や船乗りとして、セイロン島に赴いた事から、セイロン島攻防戦で日本軍の捕虜となり、現在では、オーストラリアで暮らす身になっている、ということでお願いします。
そんなことがオーストラリアの事実上の主と言える足利義輝の私事では起こったが。
その間にも、オーストラリアの開拓自体は、それこそ虜囚の身となってこの地に赴いたポルトガル人らの協力もあり、順調に進みつつあった。
「聞いたか、今の我らの主と言える足利義輝殿は、日本の皇帝、天皇陛下から勅勘を被り、この地に赴いた身だとか」
「本当に御いたわしいことだ。いつか、日本に還られればよいのに、と思う」
「だが、足利義輝殿のお陰で我らの(カトリック)信仰が陰ながら認められ、更に家族と共に暮らして、土地を持つことまで認められていることを想うと、いつまでも我らの主であってほしいと思わないか」
「全くだな」
本来は日本軍の虜囚の身であり、生活に苦心している身に堕ちていてもおかしくない筈が、この地で土地を持って、更に家族まで持てて安楽に暮らせていることもあり、そんな会話を、今やオーストラリアの住民となって、義輝の統治の下で暮らしている(ポルトガル人の)ゴメスとジョルダンの2人は共に羊を追いつつ、交わしていた。
二人ともに、それこそポルトガル本国に家族がいる身である。
だが、今の二人に帰国はとても望めない身に共になっていた。
日本とポルトガルは、終わりが全く見えない戦争に突入しているのだ。
そして、欧州だったら身代金を積むことで捕虜が解放されることもあるが、完全な異教徒同士の戦争において、身代金による解放等、とても望むべくもない。
それに。
1542年から暫くの間は小競り合いとまだ言えたが、1548年の日本によるポルトガル領マラッカへの攻撃、そして、1552年に行われたセイロン島への日本の攻撃、更にはトドメともいえる1556年に終結したポルトガル領インドへの日本の攻撃によって、ポルトガルは日本に対して敗北に次ぐ敗北を重ねた、と言っても過言ではない。
こうした中で、ポルトガルが日本に対して、宥和的な講和が望めるか、というと。
ゴメスもジョルダンも、客観的に考える程、マラッカ、セイロン島、インド等々、喜望峰から東のインド洋沿岸にあるポルトガルの領土全ての割譲でしか、最低限でも講和が望めないことが見えていた。
その一方で、ポルトガル本国は、世界をスペインと二分割するという条約(トルデシリャス条約とサラゴサ条約のこと)を、ローマ教皇庁の承認の下で締結しているのだ。
そして、ポルトガルが日本と講和条約を締結し、マラッカ、セイロン島、インドにおけるポルトガル領を割譲するということは、ローマ教皇の命に反すると言われても仕方ない事であり、それこそ、ローマ教皇によって、ポルトガル国王が破門されかねない事態が起きてもおかしくないことといえる。
だから、こうした条約の縛りがある以上、日本とポルトガルとの講和条約の締結が為される筈がない。
そして、日本とポルトガルの講和条約の締結が為される望みが無い以上、ゴメスやジョルダンら、ポルトガル人の虜囚は、このオーストラリア等に骨を埋めるしかない、といえる事態が引き起こされていた。
何しろ、この地は遥かな異郷である。
ゴメス自身、元船乗りなので、ある程度の航海術を知らなくもない身だが、ここから脱出して帰国できるか、というと余程の幸運に恵まれないと無理なのが感覚的に分かる。
それくらいなら。
この地で暮らすしかないではないか。
それに開拓した土地は、事実上は自分の土地となるし、家族も事実上は持てるのだ。
祖国にいる家族のことを想わないではないが、とても、還れない身である以上、この地で暮らして根付き、自らの生活をしていくしかない。
そう今のゴメスは考えていたし、他の多くのポルトガル人らも同様に考えていた。
話の中で事実上は土地を持てる云々とありますが、本来的には虜囚の身ということもあり、ポルトガル人には永小作権が認められていますが、農地の所有権は認められていません。
しかし、ポルトガル人に永小作権がある以上、農地の所有者も一方的な契約解除は難しく、そういった意味で、事実上は土地が持てる、と書いている訳です。
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