第16章ー17
「この地に来られたのは、本意では無いとは想うが、できる限りは日本本国の意に反しない程度に心地よく住めるようにしたい、と自分は思うので、不満があれば訴えてほしい。聞けることは聞く」
1556年現在、オーストラリアの事実上の主となっている足利義輝は、ポルトガル領インドから虜囚が来る度に、自らの都合をできる限り付けては、そう虜囚に対して語り掛けていた。
実際、それは口先だけでは無く、実際に聞き入れられることも多かった。
「日本では、カトリック信仰は禁圧されている、と聞きます。カトリックを信仰してはなりませんか」
「個人で信仰することについては、目をつぶる。そして、葬儀についても、こっそり土葬するのなら、気が付かなかったことにする。言うまでもないが、積極的な布教は禁じる。それで良いのなら」
「ありがとうございます」
あるポルトガル人の(元)司祭は、そのように足利義輝に訴え、足利義輝の答えに啼泣した。
実際、オーストラリアに日本軍の虜囚となって連れて来られたポルトガル人(及び実は、本を辿ればスペイン人等もいた)の多くが、足利義輝の黙認により、カトリック信仰を維持することができていた。
なお、1556年当時の日本のキリスト教信仰に対する態度だが、東方正教会等との関係から、日本国内でキリスト教を禁教とはしていなかったが、日本人については、葬儀は火葬と法律で定めており、そのために日本人に対する布教が、東方正教会でも進んでいない、というのが現実だった。
何故なら、(当時の)キリスト教徒のほとんど(いうまでも無く、カトリックを含む)は、火葬を禁忌としており、火葬にされては天国に赴けなくなる、と信じていたからである。
更に布教に際しても、そのように訴えていた。
だから、この当時の日本人に対するキリスト教の布教は困難を極めたのだ。
(誰が、改宗したら、死後は確実に地獄行きになる宗教に改宗したがるだろうか?)
(とはいえ、現実問題として、当時、日本人は火葬と法律で定められていたのは、皇軍の来訪により、伝染病蔓延の予防のためには火葬が効果的である、と知られたことと、キリスト教やイスラム教が日本国内で広まり、神道と大乗仏教によって事実上統一されている日本の国内宗教事情が乱されないように、という考えによって、行われていたのが裏事情としてあった。
そして、足利義輝ほどの立場になれば、そういった裏事情を把握はしていたが。
そうはいっても、足利義輝自身が、皇軍の主張により、朝廷、日本政府によって、日本本土から追放された身であり、その側近等も同様の事情を抱え込んだ者ばかりだった。
だからこそ、見て見ぬふりをすることで、オーストラリアに連れて来られたポルトガル人らが、キリスト教、カトリックの信仰を維持することを、足利義輝らは黙認したのだ)
そして、足利義輝の態度に感激したポルトガル人らは、オーストラリアの開拓に協力的になった。
それこそ乏しい自らの知識を絞って、オーストラリアの開拓に奮迅したのだ。
そうなると、足利義輝らも、更にそれに応えるようになる。
遂には。
「おい、いいのか。女性と同居するようになって」
「愛人と同居している、ということで固いことを言うな。それに女房は女房でよろしくやっているよ。それに日本人も認めているのだから、好意は素直に受け取るべきだろう」
「完全に言い訳もいいところだな」
そんな会話が交わされ、本来は虜囚の身の筈なのに、異性と事実上の結婚をして子どもまで儲け、自らオーストラリアの土地を持つ者まで、ポルトガル人らの中から出るようになってしまった。
彼らの協力もあり、オーストラリアの開拓は更に進捗したのだ。
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