第16章ー3
そうはいっても、ポルトガル本国政府としては、ゴアを始めとするポルトガル領インドに対する統治を、そう簡単にあきらめるわけには行かない、というのが本音だったが。
(また、おそらく失われているだろうポルトガル領セイロンや、ポルトガル領マラッカを諦めて奪還しない、という選択肢が、本来はポルトガル本国政府にある訳が無かった)
とはいえ、そこに派遣する軍事力が、ポルトガル本国には払底していた。
何しろ、ポルトガル本国の人口が100万人台であり、幾ら多く見積もっても本国の人口が200万人には、とても及ばないのが、哀しい現実だった。
勿論、本国の人口が少なくとも、金さえあれば傭兵なり、船乗りなりを雇う事で、人口不足を補うことは不可能な話ではない。
しかし、インド方面からの貿易の減少から途絶等により、金、ポルトガル国家の税収自体が、減少を来している。
インドから挙がってくる将来の税収等をかたにして、国内外の裕福な商人から借り入れをしようにも、商人の方も、ポルトガルの将来は昏い、と徐々に足元を見透かしている。
借入前に、以前の債務返済を、商人から、まずは求められる有様で、とうとう1555年にポルトガルは破産宣告をして、従前の国家債務を全て踏み倒す決定までしている。
その上で、新たな借入れをポルトガルは行おうとしたが、そのような国家に貸付けを進んでする商人がいないとは言わないが、極めて嫌がられるのも当然だった。
こうしたことから、金が無い、軍事力を整えられない、インド方面に艦隊を始めとする軍隊を派遣できない、という惨状にポルトガル本国はあり、名目上は現在もマラッカ、セイロンの領有を主張し、また、ゴアを始めとするインドに拠点をポルトガルを維持している筈だが。
筈でアリ、そこからのポルトガル本国との連絡等は途絶していて、税収は送られてこらず、また、給与等の支払いもなされていない有様で、インドでは現地で自活している、という超希望的観測が、ポルトガル本国政府においてはなされている有様だった。
(というか、そういった事実上の放置をするしか、現在のポルトガルには打つ手がなかった)
本音では、財政を再建し、艦隊を再整備し、インドへと戦力を向けたいが。
財政が事実上の破たんを来している以上、艦隊再整備が極めて困難なのだ。
それに、既述のように人材不足も深刻化していた。
欧州全体を通してみれば、船乗りがいないことはない。
だが、問題はインド洋の航海に関する様々な知識(地図の知識だけなく、モンスーン等の気象や天文学等の知識)を持っている船乗りが払底していることだった。
それこそ、徒弟制度ではないが、インド洋での航海の際に、船乗りの先輩から後輩へと実地でポルトガルを始めとする欧州の船乗りは、インド洋での航海知識を引き継いで、人材を育成してきた。
しかし。
皇軍の来訪をきっかけとする日本の攻撃の前に、欧州の船乗りは相次いで失われていった。
人材を育成するどころか、船乗りの補充が完全に追いつかない事態が生まれたのだ。
そのために、今や欧州にいるインド洋での航海知識を持っている船乗りは、生きた宝石扱いされていると言っても過言ではない有様までに払底している。
1556年現在、インドに赴こうとする船乗りが、完全に絶えた訳ではない。
しかし、インドに行ったことが無いどころか、喜望峰を越えた経験さえない船乗りだけで、インドまで行くので、出資してほしいと言われても、そんなリスクの高い話に誰も投資する訳が無かった。
そして、数少ないインド洋での航海知識を持つ船乗り程、インド洋方面への航海を避けているのだ。
欧州の船乗りが育たないのも、当然の話だった。
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