第15章ー15
とはいえ、いきなり醤油を大量に使った料理を提供しても、東方正教会の聖職者が集った公会議参加者に対して受け入れられる、と考える程、上里勝利は、無謀では無かった。
勝利は、母の永賢尼の教えを想い起こした。
「料理の味に敏感な人は、ほんの少しの味の違いに気が付くの。いわゆる隠し味を、上手く使えば、料理の味に敏感な人を唸らせることができ、周囲もその声に流される。醤油は、隠し味に絶好の調味料よ」
勝利の実母、永賢尼は、本来からいえば、シャム人であり、醤油を全く知らない人だったが。
(細かいことを言えば、この16世紀頃のシャムにおいて、魚醤(史実で言うところの、後のナムプラーの源流)が作られていなかったわけではないが。
大豆を原料とする醤油等、永賢尼は、それこそ上里松一の側室(現地妻)になるまで、見たことも聞いたことも無かったのが、現実だった)
松一の側室になり、料理に長じる中で、永賢尼は醤油を知り、それを活用するようになった。
更に様々な料理をする内に、その中での醤油の活用法に、永賢尼は長じるようになったのだ。
そして、実母の永賢尼の教えを下にし、勝利は考えた。
例えば、野菜の炊き合わせ、煮込み料理に、醤油を隠し味として、少し加えてみるのはどうか。
本来から言えば、昆布や干し椎茸等も使いたいところだが、コンスタンティノープルには、生憎と昆布や干し椎茸等が無い。
だが、それを強みに変える。
即ち、いつもの野菜の炊き合わせ、煮込み料理に、ほんの僅かに醤油を加えるだけで、旨味が増えるということを、公会議の参加者、特に舌の肥えている者に実感させるのだ。
本来的には、料理を食べた全ての人に分からせたいが、そこまで望むのは無理だろう。
だが、皮肉な話かもしれないが、基本的に公会議の参加者に対して、「斎」の料理しか饗されない、ということは、それだけ肉や魚といった食材が饗されないということであり、また、それだけ参加者の多くが、旨味に飢えるということになる。
だから、却って、それだけ旨味に敏感になる参加者が多い筈だ。
それこそ、実母の永賢尼が、自分に言っていたではないか。
「本当に精進料理にこだわって、肉や魚を食べないと言いながら、その一方で、肉や魚のもどき料理に凝るのはおかしい、といえばおかしな話よ。
でも、尼僧、それも本願寺でも高位の尼僧になった私が言うのもどうか、と思うけど、精進料理なので食べてはいけない、と言われると、却って食べたくなるのも、人間の普通の感情なの。
だから、懸命になってもどき料理に凝ってしまうの。
それこそ、皇軍の知恵まで借りてね」
と歳に全く似合わないいたずらっ子の表情までも浮かべて、精進料理の一環として、豆腐を作り、それをがんもどき等にして、と自分、永賢尼の元夫と言える、自身の養父の松一の援けまでも借りて、様々なもどき料理(中には、外見上どころか、味までも魚の蒲焼そっくりな豆腐の焼き物まであった)を作り上げて、まずは自分の身内と言える如春尼や三条氏に食べさせ、更に本願寺の面々にまで食べさせていた。
とそこまで勝利は思い出した。
(尚、この一件だが、松一の正妻である愛子にしてみれば、微妙に癇に障る話だったようだった。
それこそ、離婚した先妻が、自分達のところに来て、夫と仲良く料理をするのを見せつけられるような話に近い代物だからだ。
理屈は分かるけど、とこの件とかで似たようなことがある度、愛子は憤懣を溜め込む羽目になった。
それを目の前で見ていたこともあって、勝利はこの一件が記憶に残っていた。
なお、松一にしてみれば、本願寺との関係から、愛子を宥めては、永賢尼との付き合いを維持せざるを得なかった)
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