第15章ー9
実はこの当時、国際的にはヴェネツィアは、困った立場に徐々に追い込まれつつあった。
日本の参入により、東地中海貿易が盛んになり、喜望峰周りの航路が廃れつつあるということは、ヴェネツィアの再興をもたらす一方で、大航海時代到来に伴い、国力を伸長させていたスペインやポルトガルと言ったカトリック諸国の国力を落としており、ヴェネツィアとオスマン帝国の緊張が高まった場合、ヴェネツィアを支援する国に事欠く事態を引き起こしかねなかった。
そして、ヴェネツィアにしてみれば、潜在的な同盟国と言えたサファビー朝ペルシャとオスマン帝国の講和がなってしまったのだ。
オスマン帝国にしてみれば、東地中海に突き刺さった邪魔者といえるのが、当時、ヴェネツィア領となっていたキプロスとクレタである。
様々な工作により、キプロスやクレタにオスマン帝国が目を向けないように、ヴェネツィアは努めているが、もし、サファビー朝ペルシャとの講和がなったのを好機として、オスマン帝国がキプロスやクレタに牙を向けたら、というのは、ヴェネツィアにしてみれば、杞憂と言える話では全く無かった。
こうした中で、オスマン帝国が古スエズ運河再開削を試みる、というのは、ヴェネツィアにしてみれば、キプロス、クレタ防衛等の観点からも歓迎すべき話だった。
古スエズ運河再開削に掛かる莫大な費用は、必然的にオスマン帝国の軍備維持に影響を与え、キプロス、クレタ防衛等を、相対的にだが有利にすると見込まれていた。
もっとも、そのための代償も、それなりに支払う必要があった。
日本が内々にヴェネツィアに求めているのは、奴隷貿易についての公的な禁止だった。
勿論、内々に行うのは目をつぶる。
だが、公的にはヴェネツィアは奴隷貿易を禁止してほしい、ということだった。
これは、ローマ教皇庁がヴェネツィアに対して、しばしば求めてきたことであり、ある意味、そうおかしな要求ではない。
だが、これを行うということは。
スペイン、ポルトガルが、重大なジレンマに陥るのが目に見えていることだった。
東方正教会の公会議において、ローマ教皇庁が度々非難して、取締りを行うように命じているにも拘わらず、同じキリスト教徒を奴隷として売買し、キリスト教徒がキリスト教徒を奴隷として扱うのは東方正教会としては許されない、それは東西教会合同を行おうとする際の重大な障害の一つである、という非難声明を、改暦に合わせて出させよう、というのが、日本の目論見だった。
そして、それは、東方正教会において躊躇われる話では無かった。
実際、長年に亘って、黒海沿岸等において、東方正教徒が、ヴェネツィア人等を始めとするカトリック教徒によって、奴隷として集められ、イスラム教徒に売られるという実態があったからだ。
ここで東方正教会が問題視しているのは、キリスト教徒がキリスト教徒を奴隷として売買し、奴隷として扱うことなので、イスラム教徒が主体のオスマン帝国にしてみれば、全く問題ない。
しかし、東方正教会の公会議において、非難声明が出され、ローマ教皇庁の禁令を無視していることがあからさまになり、それにヴェネツィアが応じた場合、スペインやポルトガルは困った事態が生じる。
奴隷がキリスト教徒なら、スペインやポルトガルでも奴隷を解放すべきだ、という話が導き出されてしまうのだ。
更に、反動宗教改革の嵐が吹き荒れる中、ローマ教皇庁の禁令を、スペインやポルトガルが公然と無視できるのか、更にヴェネツィアがそれに応じているのに、というと。
実際には、表向きは禁止して、実際には奴隷制が別の形(例えば、年季奉公人)で存続するだけだろうが、公然とはできなくなる。
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