プロローグー4
別れた夫(?)の上里松一がそんなことを考えていること等、俗世を離れて主に仏道修行に励んでいる永賢尼にしてみれば、本来からすれば、全く関心の無いことだった。
永賢尼にとって、今の最大の関心は仏道修行であり、敢えて俗世のことで関心があると言えるのは、子ども達の成長と先行きだけの筈だった。
もっとも、自身がお腹を痛めた子の内、最初の1人の美子は既に結婚する程、大きくなっており、自らの初孫を既に産んでもいることから、成長についてはそう心配するようなことはないが。
3人目から5人目は、まだまだ自分の目からすれば成長途上だった。
そして、2人目だが。
「ご長男の勝利殿は寄り道をして、セイロン島でポロンナルワに赴き、そこの様子を見てから、コンスタンティノープルに向かっているとのことですか。どのような状況に、ポロンナルワはあるのでしょうね。また、勝利殿が健やかにおられればよいのですが」
「顕如様が、そのように心配されているとは。息子の勝利は果報者です」
「そう固くなられずとも良いのです。何しろ、父からも遺言で、国外の事で分からぬ事は、まずは永賢尼に相談せよ、と遺言を受けています。国外の事は分からぬことが多い。どうか、色々と教えてください」
「そこまで言われては、私も尽力せざるを得ませんね」
「あなたは、私にとっては身内も同然です。私の身内、義母として尽力して下さい」
「分かりました」
松一がそのようなことを考えている前後、永賢尼と本願寺顕如は、そのような会話を交わしていた。
ちなみに、
一昨年、父の証如が亡くなったことから、顕如は11歳の身で本願寺教団の宗主(門首)に就任した。
とはいえ、そのような若年の身で、日本有数の大教団である本願寺教団の舵を取れるものではない。
そのために証如は、今後の本願寺教団の事を慮り、顕如の後見人として2人を指名した。
その1人は、順当と言えば順当になる証如の実母にして顕如の父方祖母になる鎮永尼だったが。
もう1人が、本願寺教団内でも意外の念を持たれた永賢尼だった。
「国内の事は鎮永尼に、国外の事は永賢尼に。顕如はまずは相談せよ」
それが、証如の遺言の一節であった、と後世に伝わる。
これは、時代の激変に伴う流れの速さに、少しでも本願寺教団が対処するのに、どうするのが最善かを苦吟する中で、証如が導き出した遺言だった。
今や、日本は積極的に世界に乗り出している。
当然のことながら、本願寺教団も世界に、日本国外の事に関わらざるを得ない。
何しろ、セイロン島のポロンナルワに、仏教等の聖地といえる自治都市を作ろう、それに日本も協力しよう、という時代なのだ。
また、本願寺教団の信徒も日本国外に赴いている以上、本願寺教団としても僧侶を積極的に国外に送り出し、又、国外での布教に努めざるを得ない。
そうなったときに、頼るべき人材が本願寺内にいるのか、と証如は考えた末に。
永賢尼を、息子の顕如には頼らせることにした次第だった。
その理由だが。
ます、永賢尼自身が賢明であり、本願寺の教えに通暁しつつあるということがある。
また、顕如の正室になる如春尼から母のように、永賢尼は慕われる存在でもある。
更に、別れたとはいえ、インド株式会社の代表取締役、上里松一との繋がりは維持されており、長女の美子はオスマン帝国にまで赴く等、国外の知識について日本国内でも有数の知識を、永賢尼が持っていることは間違いなかったし、更に最新の情報を入手できる人脈も持っている。
そうしたことから、証如は国外問題に関する顕如の後見人として永賢尼を指名したのだ。
そして、顕如自身もこの義母(?)を頼みにしており、永賢尼は全力を尽くすつもりだった。
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