第13章ー39
そういった宗教上の問題も起きたが、その一方でポルトガルをセイロン島から追放した後、セイロン島における軍事的な課題となったのが、シーターワカ王国の問題である。
日本軍がセイロン島に赴く前から、シーターワカ王国は、コーッテ王国と既に本格的な戦争状態にあった。
更に、シーターワカ王国にしてみれば、自衛のための戦争だ、と言い張るだろうが、日本軍がコロンボ攻略に主力を向けている際に、日本の同盟国であるキャンディ王国に対する侵攻作戦を行ったことは、日本やキャンディ王国にしてみれば、明らかな侵略戦争を行ってきたことに他ならなかった。
これに対処するために、コーッテ王国とキャンディ王国、日本との攻守同盟が締結される方向となったが、そうは言っても、単なる同盟関係では脆いのも事実である。
こういった場合に、この当時に行われる物事は、ある意味、東西を問わない物事であり、宗教上の問題が、コーッテ王国とキャンディ王国間にほとんど無かったことも相まって。
「お互いに王女を相手の国に嫁がせるか」
「もっとも、適当な年齢の未婚の王女がお互いにいないので、お互いに王族の娘を、国王の養女にして嫁がせることになったらしいが。それでも、万が一のことがあった場合は、その養女の子が、王位を継承することをお互いに認めるらしい」
「日本でも似たような話がありますな。息子がいないので、娘が産んだ男の子を養子に迎えて、家督を継がせる話とか。ここでも同じなのですな」
そんなことを日本陸海軍の士官は言い合うことになった。
その一方で、日本軍の一部では、シーターワカ王国軍が、キャンディ王国に対して攻撃を加え、それによって、日本軍にも死傷者が出たことを、(極端に言えばだが)過度に問題視する者も出た。
「この際、日本軍に死傷者が出たことを理由に、報復として、我々はシーターワカ王国を攻めるべきでは」
過度に問題視した者の中の一人である吉川元春少尉は、(若いということもあったのだろう)そう言って懸命に周囲に訴えたが。
「そこまでするのは相当ではないだろう」
「セイロン島内のことは、キャンディ王国とコーッテ王国に主に任せるべきで、両国からの要請があった場合に、日本は武器等の援助を行うに止めるべきだ。勿論、キャンディ王国やコーッテ王国が、それでは持たないような場合は、武力介入もやむなしだが」
そんな感じで、戸次鑑連中佐や鬼庭良直中佐らは発言して、対シーターワカ王国介入戦争に、日本から踏み切ることを拒んだ。
実際、日本としては、セイロン島からポルトガル勢力を排除するために、セイロン島に軍を派遣したのであり、対シーターワカ王国戦争のために軍を派遣したのではないのだ。
それに、この当時の通信等の問題から、ある程度の現地判断が是認されているとはいえ、幾ら何でも現地の日本軍幹部の判断で、シーターワカ王国侵攻作戦を発動するのは、完全に越権行為になる。
そういった点において、戸次中佐や鬼庭中佐は、現地判断でできるギリギリというのを見極めていた。
最終的な判断は、現在は、シンガポールに置かれている外務省の出先機関を介して、日本本国の判断を得た上で行われるという前提を付して、キャンディ王国やコーッテ王国との交渉を戸次中佐らは行っている。
(なお、海軍も含めれば、木村昌福提督が最上位の軍人になるのだが。
木村提督は、取りあえず戸次中佐らのお手並み拝見とばかりに、外交交渉は、ほぼ任せていた。
それに木村提督は、インド本土やポルトガル本国からの反攻計画に備える準備に追われてもいたのだ)
そして、最終的に日本本国とのやり取り等が終わったのは、1553年の春の話になってしまった。
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