第2章ー9
この後の国際情勢の幾つかの説明話では、読みやすさと雰囲気両立のために、現代の表記と過去の表記が並立しますが、どうかご寛恕下さい。
(例えば、単にベトナムと書いては、当時の雰囲気が出ませんし、かといって、単に安南と書いては、どこのこと、という疑問が読者から起きそうなので。
私としても、苦渋の選択なのです)
「明の情勢は分かりませんか」
少しでもこの世界の情勢を把握せねばならない上里松一少尉としては、琉球王国に着かねば、これ以上の情報は得られない、と判断して、中国本土等の情勢を聞くことにした。
「明ですか。私の立場からすれば、明の海禁政策には困っていて、それで密貿易をせざるを得ない有様に追い込まれましたな。明の情勢ですが、嘉靖帝が即位して、20年程になりますが、余り良くないようです。現在、明の国内に大規模な内乱が起きてはいないようではありますが、民はそれなりに苦しんでおり、北からは韃靼(タタール)の侵略が時折あり、海岸では倭寇が跳梁し、といった有様のようですな」
「海禁政策に困っているのは分かりますが、だからといって、密貿易は感心しませんな」
「そうですわ。お父様。夫が言う通りです」
「いや、まだ婚約中で、結婚はしていませんから、私は夫では」
「何でしたら、今日からでも、私は構いませんが」
「いや、それは流石に」
「私は大人の女になっておりますが」
「話を元に戻しましょう」
張娃が口を挟むと、何故か痴話喧嘩めいた話になりがちだ。
上里少尉としては、将来の結婚生活が垣間見える気がしてならない。
(内心で)懸命に頭を横に振って、上里少尉は会話の路線修正を図る。
なお、この間、張敬修は、娘とその婚約者の会話を生暖かい眼で見ており、上里少尉としてみれば、完全に外堀どころか内堀まで埋め立てられ済みの気さえしていた。
「確かに密貿易はよろしくないですが、我々とて必要があり、また、向こう、明にも事情があるのです。需要と供給があれば、密貿易が成り立つのは当然では。そして、密貿易である以上、自衛せねばならない。そうなると我々も武装せざるを得ないのです。そして、南蛮人の脅威も、徐々に大きくなりつつあります」
「確かにそうですな」
諄々と道理を張敬修が説いてくる。
上里少尉としても同意せざるを得ない。
そして、上里少尉は考えた。
ということは、この辺りの中国史、中国事情は、自分がかつていた16世紀の中国史等と、ほぼ同じとみなしてもよさそうだ。
更に気になる内容が、先程の言葉にはある。
南蛮人という言葉だ。
「欧州のポルトガル人が来ているのでしょうか」
「おお、よくご存じだ。キリスト教を信じておる異邦人ですな。全てがポルトガル人という訳でもないようなので、南蛮人と一括して呼ぶことが、我々の周りでは多いのです」
「ふむ。脅威と言われましたが」
「商売敵になりますしな。それに、やはり、キリスト教徒とイスラム教徒は、長年の因縁があるようで、マニラに、先日、ポルトガル人のキリスト教の司祭が商船に乗って現れた際に、一悶着を起こしたのです。商売人としては、宗教対立を引き起こすような輩は好きになれません。それに南蛮人の商人には、どうもポルトガルの後ろ盾があるようでして、国家の手助けが基本的に無く自分で自分を護るしかない我々の間では、そういったことからも好きになれないのです」
張敬修が言うのも、もっともな話だな。
商売人にとって、争い事はできる限りは避けたい話だ。
更に独立独歩でやっている華僑にしてみれば、ポルトガルの後ろ盾がある南蛮人商人は、そもそも肌が合わない相手なのだろう。
そして、この話を聞き終えた上里少尉は更に考えた。
史実では、フランシスコ=ザビエルがインドに赴いたのは、この頃の筈だが、それ以前に何らかの理由でカトリックの司祭がインドや東南アジアに来訪していても、あり得ない話ではない。
そういったいわゆる無名の司祭が、マニラに現れてトラブルを起こしたのか。
今後、このような宗教対立に、我々はどのように対処していくことになるのだろうか。
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