第13章ー12
もっとも、外征を行う一方で、確保している拠点、具体的に言えば、ルソン(マニラ)等を防衛する部隊も置かねばならない。
海軍内部からは、海軍陸戦隊、又は海兵隊を整備して、外征や海外拠点の防衛に充ててもいいのでは、という声があったが、陸軍内部、特に皇軍の関係者は、断固として拒絶せざるを得なかった。
海軍の主張を認めては、陸軍の存在意義が無くなりかねない、と危惧したのだ。
更に幸か不幸か、陸軍の主張を後押しする事件もあった。
皇軍がこの世界に来訪した直後、陸軍の一部は、第48師団の将兵を中心として植民者とし、ルソン島を中心とするフィリピンの植民地化を図った。
そして、その過程の中で、マギンダナオ王国やスールー王国と紛争が生じたのだ。
そもそもの発端は、スールー王国の商人が奴隷狩りの船をルソン島に送り、そこにいる日本軍の将兵を奴隷として確保しようとしたことだった。
この当時のスールー王国は、奴隷貿易で繁栄していた。
そして、その奴隷はフィリピン群島でイスラム化が余り進んでいない地域で、イスラム教徒でない住民を、奴隷商人が奴隷狩りで奴隷化することで確保されていたのだ。
更に国の繁栄のために、スールー王国政府も、この奴隷商人の活動を積極的に是認していた。
そして、スールー王国の奴隷商人達は、その活動の一環として、ルソン島を植民地化しようとしていた日本軍の将兵を奴隷狩りで、奴隷にしようと試みたのだが。
こうしたことは、日本政府から見れば、スールー王国から戦争を仕掛けられたものに他ならなかった。
更に、同じイスラム教徒の誼から、マギンダナオ王国がスールー王国に味方する姿勢を示したことが、日本政府、皇軍上層部の逆鱗に触れた。
結果的に、スールー王国とマギンダナオ王国は、日本と戦争の末に、皇軍がもたらした武力によって粉砕されることになり、属国を含む日本の勢力圏に対する奴隷狩りの禁止と、日本との奴隷貿易の全面禁止、及び日本への属国化(内政での自治は認められるが、外交権を失い、軍事権も日本に制約される)という講和条件を飲まざるを得なかった。
更にその戦争の真っ最中に、スペインの調査船団の来訪があったのだが。
彼らは、最悪のタイミングで訪れたと言ってよかった。
このスペインの調査船団は、マゼランの報告を元にして、フィリピン群島とモルッカ諸島の植民地化を図るためにメキシコからやってきたもので、ルイ・ロペス・デ・ビリャロボスを調査団長としていた。
だが、彼らはスールー王国と日本が交戦中なのを知らずに来たことから。
まずは、日本から怪しい船団として彼らは攻撃され、慌てて敵の敵は味方の論理から、スールー王国に援けを求めたのだが、スールー王国にしてみれば、格好の奴隷に彼らは他ならなかった。
スールー王国に、当時、生き延びていた彼らのほぼ全員が、奴隷として抑留、酷使されることになり、命辛々の脱出を果たした者もいたらしいが、ルイ・ロペス・デ・ビリャロボス自身を含む多くの調査員が、スールー王国で異国の土となった。
最終的に日本とスールー王国が講和を果たした際に、スールー王国で奴隷として生き延びていた極わずかなスペインの調査団員は、日本人によって解放されたが、そのままオーストラリアに送られた。
更にこの一件は、日本政府、軍にフィリピン群島にスペイン軍が侵攻してきた場合の防衛作戦を考えさせる契機になった。
とはいえ、フィリピン群島は余りにも広く、フィリピン群島全土に防衛兵力を、日本軍が展開させての防衛は不可能といってよい。
こうしたことから、マニラに独立歩兵大隊を置いてスペイン軍の侵攻があった場合、機動防御を行うという方針となった。
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