第13章ー9
セイロン島侵攻作戦に投入される兵力だが、独立歩兵3個大隊を基幹とするということは、日本陸軍の前線兵力は、約三千ということになる。
更に段列(補給)部隊を随伴することになり、それを併せれば、日本陸軍のセイロン島侵攻作戦に投入される総兵力は約五千といったところだった。
この程度の兵力、日本国内なら、それこそ1国の国主でも容易に集められる、といってもそう間違いのない兵力ではある。
(実際、甲斐の国主だった武田晴信は、甲斐1国でもそれ位の兵力は動員できる、と思ったくらいだった)
だが、問題は、その兵力をシンガポールからセイロン島まで海輸せねばならない、ということだった。
外務省からの連絡により、キャンディ王国が日本との同盟に乗り気であることは分かったが、だからと言って、万が一の事態を考えると、そう楽観視するわけにも行かない。
キャンディ王国に現地補給を基本的に頼るとしても、日本軍の前進拠点と言えるバンダアチェからセイロン島までの海上移動中の食料は運ばねばならない。
更に移動途中に荒天に見舞われることや、キャンディ王国が変心するリスクを考えると。
戸次鑑連中佐や鬼庭良直中佐ら、過去のシャム対ビルマ戦争に関与した経験のある面々からは、慎重に考えるべきだという主張が出るのは、半ば当然だった。
北条綱成少佐や真田幸綱少佐らといった大尉以上の面々にしても、外国での戦争は初めてでも、そのほとんどが、皇軍到来前の日本における実戦経験がある面々ばかりである。
そういった面々が、実戦では慎重に考えるべきだ、という考えに至るのは半ば必然だった。
そうしたことから。
「セイロン島までは、バンダアチェから1月は最低でも掛かります。荒天のリスク等を考えて、念のために2月分の水と食糧を準備して出航しましょう」
「そうなると、1人250キロは必要になるのではないか」
(この当時、日本国内ではメートル法が普及しつつあり、少なくとも日本陸海軍内部での単位については、メートル法での議論が当然という時代に入っていた。
なお、上記の数字は1日に食料1キロと水3リットルが、1人の兵士には最低でも必要だと考えられたことから産出された数字である)
「止むを得ないでしょう」
「他にも弾薬や予備の武器、更には輸送用の馬や馬車等が必要になるな。それに馬用の水や飼葉か」
「それもまた、輸送船に乗せて運ばないといけませんな」
こんな感じで議論を積み重ねた結果、約5000の将兵を輸送するのに、50隻もの大型帆船が準備されるということになった。
単純に将兵を詰め込むだけなら、20隻もあれば十分だっただろうが、補給等の為の物資を詰め込むとなると、そのような数ではとても足りなかったのだ。
そして、それを護衛する海軍艦艇も必要となる。
主力艦10隻、フリゲート艦10隻が、この輸送船団を護衛することになった。
とはいえ、荒天に遭って、はぐれてしまうような事態も想定される。
そのため、全ての輸送船に大砲を搭載することも検討されたが、流石に大砲が足りず、一部の輸送船(それも半数以下)のみに、陸軍が野戦用に準備していた大砲を、臨時に転用して、対艦戦闘用に装備するに止まらざるを得なかった。
とは言え、この時代のポルトガルが採用していた艦載砲の性能を仄聞していた面々からすれば。
「この時代の大砲の威力等、怖れるに足らず」
「我々の銃の射撃と、いざという際の接舷攻撃で、ポルトガルの軍艦等に遭遇したら、返り討ちにして容易にだ捕してくれる」
と豪語する面々が、陸軍に揃っていたのも事実であり、こうしたことから、怖れる色無くして、セイロン島攻略作戦を、日本軍は発動しようと逸ることになった。
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