第13章ー7
そんな風に、こじれにこじれた人間関係がある一方、逆にあらためて人間関係を温める者もいる。
「「また、武田と共に戦えて本望です」」
「そう言って貰えて嬉しいぞ。工藤と飯富」
「私は内藤です」
「私も山県ですが」
「そうだったな。弟の宥和策の一環で名字が変わったのだったな」
「「ええ」」
武田晴信大尉は、内藤昌秀大尉や山県昌景少尉と久闊を叙していた。
甲斐の国は、それこそ武田家内部の相剋等による内乱に、100年以上にわたって翻弄されてきたが、「天文維新」によって武田信繁が新国司になった後、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
もっとも、これは武田信繁の人柄以上に、甲斐自体の景気が良くなったのもあった。
平和の到来に伴い、甲斐の国内の金山開発が本格的に進んだこと、更に皇軍からの技術提供があったことから、甲斐の内部での金の産出量は増大することになった。
更に、「地方病」等と言われ、半ば業病とまで見られていた日本住血吸虫症への対策方法が、皇軍によって知られるようになり、徐々にだが予防ができるようになった。
こういったことが、甲斐の景気を良くし、甲斐の住民を潤した。
また、武田信繁は、父の信虎等が買っていた恨みを減らし、国内の宥和を進めるために、相次ぐ内乱によってお家断絶等になっていた旧家の復興を積極的に認めることにした。
内藤家や山県家は、そういったお家断絶になっていた家であり、親族関係から、内藤昌秀大尉は、工藤から改姓し、山県昌景少尉は、飯富から改姓したという次第だった。
「馬場信房殿も、本音では陸軍に入られたかったようですが、殿の上官になるのは、と控えられました。ですが、これはこれで良かったようで、甲斐の鬼馬場として怖れられ、甲斐全体の治安維持に努められています。ただ、馬場が婆に通じるとのことで、信房殿自身は、好かぬ仇名らしいですな」
内藤大尉が、それとなく甲斐の噂話をした一方で。
「そういえば、武田大尉は再再婚をされたそうで、おめでとうございます」
山県少尉は、微笑みながら言った。
「まあ、義弟に責任を取れ、と言われたし、元妻の三条氏からも再婚を祝福されたからな」
武田大尉は、苦笑いをしながら言った。
三条氏と離婚した後の少しの間、陸軍士官教育もあり、武田大尉は独身でいたが。
妹夫婦、具体的に言うと諏訪頼重夫婦が、武田大尉に気を使い、諏訪頼重の側室腹の子、諏訪姫を後添えに勧めたのだ。
とはいえ、何となく三条氏に対する気兼ねもあり、やや秘めた感じの関係を武田大尉は結んだ。
(それに、義理とはいえど、伯父姪の関係に当たると言うのも、諏訪姫との関係に、武田大尉が余り気が乗らなかった一因だった)
そして、武田大尉は側室で済ませるつもりだったのだが。
皮肉なことに、諏訪姫は妊娠して男の子が生まれたのだ。
武田大尉にしてみれば、四男になる子である。
四男とはいえ、長男は信繁の気遣いから、信繁の養子になっていて、武田の本家を継ぐ予定である。
そして、次男は盲目となり、三男は武田の分家筋になる上総の武田(庁南)氏に既に養子に出ている。
武田大尉としては別家を立てており、次男を我が家の跡取りにするつもりだったが、盲目になったことから、廃嫡することも考えていた。
そこに諏訪姫が、四男の子を産んだのだ。
それを聞いた元妻の三条氏は素直に祝福し、諏訪姫を正室にするように勧め、諏訪頼重夫婦も跡取り息子の母になるのだから、諏訪姫を正室に直せ、と言い出したのだ。
こう外堀を埋め立てられまくっては、武田大尉も観念せざるを得ない。
武田大尉は、諏訪姫を正室として正式に結婚したという次第だった。
今では諏訪姫も子どもとシンガポールに赴任している。
武田信玄の三男、信之に関してですが、史実でも庁南武田家の養子になった、という伝承が上総には遺されているとのことです。
甲斐にはそのような資料が無く、かなり怪しい話ですが、この世界ではそうなったということで。
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