第2章ー7
少し幕間めいた説明話に、暫くなります。
沖縄(琉球)に向かう重巡洋艦「妙高」の中で、上里松一海軍少尉は、悩み事、問題を色々と抱え込んでしまい、思い悩む羽目になっていた。
まず、自分が生まれていなかった時代(?)に、自分はいるらしいのだ。
そして、その頃、故郷は日本の領土ではなく、独立国だった。
琉球弁(?)通訳として、沖縄(琉球)に自分は向かうことになった。
琉球弁と単に言っても、地域による差異は大きい、更に時代による違いもある。
そういったことから、首里近くの出身である自分が、通訳として最適ということになったのだが。
この任務に成功した時、自分は故郷を裏切って、独立を失わせることになるのではないか。
いや、本来、沖縄(琉球)は、日本語を話す民が暮らす土地であることからすれば、天皇陛下の統治に最初から入るべき土地だったといえるのか。
下手に頭が良すぎるのか、上里少尉は思い悩んでいた。
更に上里少尉の悩みを深めることもあった。
マニラで初めて接触したこの時代の華僑、張敬修と上里少尉は、お互いに言葉が分かることもあり、親近感もあって、すぐに親しくなったことまでは良かった。
だが、張敬修の身の上話を上里少尉が聞かされる内に、話がトンデモナイことになった。
張敬修自身は、(本人の主張を信じればだが)30代前半で、父親は中国本土(恐らく現在の福建省)出身で、一旗揚げようとマニラに赴いたらしい。
そして、武装交易(要するに倭寇)に勤しんでいる時に、自分が産まれたとのことだった。
更に10年程前に、父親の仕事の一環で自分が首里に住んでいる際に、マニラにいた父が若死にしたことから、マニラに戻って、父の仕事を自分が完全に引き継いだ。
なお、首里で娶った先妻も先日、亡くなった。
それで、後妻を迎えたのだが、先妻が遺した娘と後妻の折り合いが悪い。
ついては、娘を上里少尉の妻にしてくれないか、という話にまで発展してしまったのだ。
上里少尉が嫌な予感がして、張敬修の娘の歳を聞くと(数えの)12歳だというのである。
上里少尉が慌てて、上官に相談したところ、近藤信竹中将にまで話が通ってしまい、張敬修の娘と婚約しとけ、という話になったのだ。
さて、何でこうなったか、というと。
張敬修がマニラではそれなりの有力者であることが、皇軍上層部に判明したことがあった。
現地の有力者と通好を結んでおいた方が、現地の統治を行う上で容易なのは当然である。
更に、娘と上里少尉を婚約させてくれるのなら、琉球王国政府との交渉に、張敬修が自ら乗り出す、とまで言い出したのだ。
本土帰還、天皇陛下の御許に向かうことを最優先に考える皇軍上層部にしてみれば、琉球の知識まで有する有力者の歓心を買うのに、海軍少尉1人の婚約を斡旋する位、安い対価という発想になってしまった。
(婚約だから、後で破棄してもいいではないか、という甘えた考えが一部あったのは否定しないが)
かくして、上里少尉は、張敬修の娘と婚約する羽目になった。
そして。
張敬修は、琉球王国との交渉役を務めるべく、「妙高」に乗り込んだのだが、その娘も父についてきた。
娘曰く、折り合いの悪い継母の傍にいるより、父や婚約者の傍にいる方がいい、との理屈だった。
「妙高」艦長の山澄貞次郎大佐は、外国(?)の女性を乗艦させることに難色を示したが、琉球王国との交渉役を務める人物、張敬修の娘であり、上里少尉の婚約者で、本をただせば沖縄(琉球)出身ということを考え合わせると、拒否するのも躊躇われたことから。
上里少尉は、山澄大佐から八つ当たりもあって、
「婚約者の面倒をみろ」
と張敬修の娘の世話を押し付けられた、というてん末に至っている。
上里少尉はため息しか出なかった。
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