第90章―2
だが、その一方で基本的には、時の流れは徐々に人の心を癒していくものでもある。
皇太子殿下が薨去されて、一月近くが経った五月に入ると、千江皇后陛下の傷心は少なくとも外見上は癒えることになり、娘の文子内親王殿下を改めて自ら気に掛けるようになり、母と娘の仲がある程度は修復されたことから、五月中には上里松一は宮中からようやく退出し、自宅に住めるようになった。
又、そうしたことから、今上(後水尾天皇)陛下にしても、皇后の傷心がある程度は癒えたことから、出産が迫る一方の美子中宮陛下に、ようやく落ち着いて向き合えるようになった。
そして、出産予定日までいよいよ1月を切ったこともあって、複数の侍医が検討した結果として、胎児数はほぼ確定診断が下されることになった。
その結果だが。
「男女の性別は不明ながら、5人ですか」
今上陛下から、中宮の胎児数を聞いた九条幸家内大臣は、何とかそこまでは口に出したが、気が遠くなってしまった。
「複数の侍医によれば、心音が5つ聞こえると診断したことからとのことで、中宮の子が5人なのは、ほぼ間違いないとのことだ」
今上陛下は敢えて真面目腐った顔で言った。
九条内大臣は改めて想った。
今上陛下との初産で、これまでに鷹司信尚との間に産んだ子よりも多い子を美子は儲けるとは。
義妹の美子と今上陛下は、前世でどれだけの縁を結んでいたのだろうか。
更に言えば、その中に男児がいれば、その子がすぐに皇太子に立つのは間違いないとか。
どれだけの強運を持って、美子は産まれて来たのだろうか。
本当に美子の実母が悲惨な目(親兄弟等の家族を皆殺しにされ、自らも一時は奴隷に堕ちた)に遭った代わりのように、美子は強運に恵まれている。
九条内大臣は、そこまで考えてしまった。
「ともかく内密に乳母等の選任を行っておくように。中宮に言わせれば、乳母はいなくとも構いませぬ、というが、宮中の慣例から言っても、そう言う訳には行かぬ」
「確かに」
少し声を潜めながら仰せの今上陛下の言葉に、九条内大臣としても即答せざるを得ない。
皇后陛下が皇太子殿下を産んだ際には、3人の乳母が選任されて、皇太子殿下の面倒を見たのだ。
それなのに、中宮陛下が皇太子殿下を産んだ際には、乳母を選任しなかったとあっては。
皇后と中宮は対等ではないのか、と日本の国内外の世論から袋叩きに自らが遭うのは必至で、自分の命さえも危険にさらされる気がしてならない。
取り敢えずは、乳母の候補者を5人、いや6人程は選んでおかない訳には行かないだろう。
多胎児というか、5人の子が産まれるまで、このことは秘密を保つ必要があるのだから。
それはともかくで済ませられることではないが、そんなことを九条内大臣が考えていると。
「話は変わるが、中宮が5人も懐妊していることから、出産は帝王切開にするのが危険回避の点から妥当だ、と侍医団は言っており、朕も中宮もそれに同意している」
「それは真にもっともなことかと」
今上陛下が言いだし、九条内大臣は即答したが。
「それでだ。トラック基地から、できる限りの話になるが、中宮の出産に合わせて、人類初の月面到達を行いたい旨の連絡があった。帝王切開ならば、何とかして見せますとのことだ。政府とも連携して、実現に努めるように」
今上陛下からの続けての言葉に、九条内大臣は暫く呆然とするしか無かった。
九条内大臣は懸命に頭を回転させた。
5人もの出産ならば、まず確実に皇太子殿下は産まれるだろう。
それに合わせて、人類初の月面到達が果たされるとは。
どれだけの豪運を、義妹の美子が産む皇太子殿下は持たれているのだろうか。
「何とか実現しましょう」
九条内大臣はやっと言った。
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