第12章ー17
そうしたことから、美子は日本とオスマン帝国との外交交渉について、結果的に裏まで全て見届けることが出来たのだが。
このコーヒー、アガバ港に残されていた日本の使節団の面々も実は飲んでおり、使節団の中にいた多くの商人の目の色を変えさせた。
「これはいい」
今井宗久は、コーヒーの覚せい効果に目を見張った。
苦いが本当に目が覚める。
寺院等に目覚まし用の飲料として売れば、かなり売れるのではないだろうか。
「飲んだら、疲れが取れる気がする。一時だけのものだろうが。これは有難い」
小西隆佐も、コーヒーの効果に着目した。
皇軍の知識提供により、徐々に工場ができつつあり、そこで働く工員等が増えている。
彼らに飲ませれば、作業の効率が上がるのではないだろうか。
こうした思惑等が働いたことから、日本の使節団はコーヒーを大量に買って、日本に持ち帰った。
そして、日本に、更に日本人の住む地域にと、コーヒーが普及していった。
こうした事態が起きたことから、コーヒーの産地である紅海沿岸に日本の商船は向かうようになった。
香辛料等が日本からオスマン帝国へと輸出され、代わりにオスマン帝国から日本へはコーヒー等が輸出されるという事態が生じ、紅海沿岸の港は繁栄することになるのだ。
そして、経済的利益を更に上げるために、スエズ運河建設が検討されることになっていくのである。
また、話が先走るが、少しでも安くコーヒーを手に入れるために、コーヒーの種が様々な非合法な手段によって、エチオピア等から日本へと持ち出されることになった。
更に、そのコーヒーの種は、中米等へと送られて、送られた先の日系植民地において、いわゆるプランテーション作物として栽培され、その地の名産品等にもなることになるのだ。
少なからず話が先走り過ぎたので、話を戻すと。
11月上旬、日本とオスマン帝国との外交交渉は、難航の末にほぼまとまった。
ここに、日本とオスマン帝国は、アチェ王国を加えた三国同盟を締結することになった。
そして、オスマン帝国は、日本に対して、恩恵としてカピチュレーションを与えた。
なお、代償として、日本もオスマン帝国の臣民に、治外法権については、ほぼ同様の待遇を保障した。
これは時代的にやむを得ない話だった。
イスラム法に準じた法律が施行されているオスマン帝国と、近代市民法が徐々に導入されつつある日本。
この両国の法律が違い過ぎる以上、治外法権は止むを得なかった。
岩畔豪雄使節団長は、日本の使節団員を連れてスレイマン1世の御前に赴き、日本との同盟締結についてお礼の言上をすることが出来た。
その場には、当然、アバヤに身を包んだ上里美子も、通訳としての役目を果たすためにいた。
美子は、岩畔団長とスレイマン1世とのやり取りを通訳しながら、思わざるを得なかった。
本当に思わぬことになったものだ。
1年程、養母の愛子は家から私を追い出して、養父と私の仲を引き裂こうと思ったことが、今回の件の発端だったのだが。
結果的には、この時代の世界の超大国、オスマン帝国と日本との外交交渉に、10代の女性の身で通訳ということから、その外交交渉の裏の裏まで、私が関与することになるとは。
何でこんなことに?
それにしても。
日本に無事に帰国したら、実母と義姉妹に、今回のてん末を岩畔使節団長と養父の承諾を得た上で、明かせる範囲で話そう。
きっと、3人共、目を白黒させるだろう。
本願寺顕如様と、スンナ派イスラム世界の盟主カリフが、義理とはいえ相婿になる寸前になるなんて。
もし、そうなっていたら、本当に面白い事態になったような気がする。
危機から何とか逃れたこともあり、美子の心は浮ついていて、そう考えていた。
ご感想等をお待ちしています。