第12章ー16
さて、日本とオスマン帝国との交渉の内容だが。
オスマン帝国が、最初に問題視したのは、やはりアチェ王国の一件だった。
日本が、オスマン帝国の同盟国であるアチェ王国を攻めて、属国化したことにつき、何らかのことをしてほしいということになったのだ。
岩畔豪雄使節団長は、この件について日本を立つ前に、予め日本政府内で話し合っており、その腹案に基づいての提案をした。
その内容は。
アチェ王国は日本の属国ではなく、独立国となる。
そして、日本、オスマン帝国、アチェ王国の三国で同盟を締結する。
アチェ王国に、日本が必要と認める限り、陸海軍を日本は駐留させることができる。
という3項目を柱とする内容だった。
オスマン帝国にしてみれば、同盟国が独立を回復できるし、その後も同盟国となれる。
日本にしてみれば、属国では無くなるが、アチェ王国内に軍隊を駐留させることができる。
ポルトガルの脅威が存在する以上、同盟国のアチェ王国防衛のために、日本が軍隊を展開するという理屈は、それなりに筋が通っており、オスマン帝国側は、日本の提案を受け入れた。
(なお、アチェ王国は、この時点では日本の属国として、この交渉では蚊帳の外に置かれており、日本とオスマン帝国との交渉がまとまった後で、交渉結果を押し付けられた。
アチェ王国上層部は、独立を回復できたものの、同盟軍である日本軍の駐留を甘受せざるを得ず、大国の都合で動かされる小国の悲哀を味わうことになった)
そして、日本はオスマン帝国に対して好意を示すためもあり、日本の影響下にある産地で生産された香辛料については、ポルトガル、サファビー朝ペルシャに対しては売却をしないという貿易条件を付けた。
更に、日本の商船が、アデン港やアガバ港といった紅海沿岸のオスマン帝国領の港を利用するのを、オスマン帝国は公式に認めた。
(これは、オスマン帝国とサファビー朝ペルシャが、当時、戦争状態にあったためであり、数年後にオスマン帝国とサファビー朝ペルシャが講和した後は、オスマン帝国の了解を受けて、日本の商船はサファビー朝ペルシャに香辛料を売るようになる)
このことは先走った話になるが、ポルトガルの衰退、ヴェネツィア海上共和国の復興を招くことになる。
それこそ、この日本の香辛料貿易政策によって、いわゆる大航海時代以前と同様に、アレクサンドリアに東南アジアの香辛料が集約されて、欧州に輸出されるようになったからである。
そして、それによって、香辛料が主導することで、いわゆる東西貿易は、ペルシャ湾経由や喜望峰経由が廃れ、紅海経由が大動脈になるという時代が到来した。
また、スエズがこの東西貿易の大物流の隘路となったことから、オスマン帝国と日本が手を組んで、後々でいわゆる古スエズ運河を復興させ、それでは追いつかずに、更にスエズ運河の掘削を図るようになる。
もっとも、紅海航路が主役になった理由は、もう一つあった。
「これは何という飲み物ですか」
「コーヒーというものですわ」
「私も久しぶりに飲むな」
オスマン帝国との交渉の席で、饗された飲み物、コーヒー。
皇軍関係者は知っていたが、それ以外の日本の面々にしてみれば、初めて見て、飲む代物だった。
美子は、すぐにコーヒーの香りが気に入ったが、他の皇軍関係者以外の面々は、最初は戸惑った。
「少し苦いな」
「苦い方は砂糖を入れては」
「ああ、確かに」
ちなみに、美子は交渉の場において、通訳として同席している。
オスマン帝国と日本との交渉の場で、日本が同行してきた中に美子以外に適当な通訳がいなかったことから起きた事態だった。
オスマン帝国からの要望もあり、美子はアバヤを着てその場に同席していた。
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