第85章―18
国家憲兵(警察軍)との呼称ですが。
私なりに悩んだ末での呼称です。
日本史において、憲兵というと軍内部の監察等を行う存在というイメージが極めて強い気が、私の誤解があるのかもしれませんが、してならないのです。
更に言えば、世界史的観点からすれば、軍と(国家)警察の境界は極めて曖昧で、それこそ現実世界で言えば、イタリアのカラビニエリのように警察軍と翻訳される存在も稀ではありません。
そんなことから、作中では、明帝国内の主に治安維持に当たる軍(警察)について、国家憲兵(警察軍)と呼称することにしました。
そういった状況の変化があった1621年秋現在、数年に亘って明帝国軍の改革に奮闘して来た武田信勝中将と袁崇煥は改めて膝を交えて、明帝国軍及びその周囲の今後のことを話し合っていた。
「約5年という歳月が掛かりましたが、大規模な流賊が武装して明帝国内を闊歩する状況は、ほぼ終わりを遂げたようです。日本等の協力に心から感謝します」
袁崇煥は武田中将に頭を下げながら言った。
「確かに現状はその通りですが、まだまだ路は遠いです。流賊が公然と日を浴びて闊歩することは無くなりましたが、闇に潜っただけといっても過言ではない。それに阿片等の麻薬患者が減少するどころか、一部の地域では逆に増えている、という噂さえ流れています。本当に明帝国内の様々な改革は路半ばです」
武田中将は、袁崇煥に対して忠告を与えた。
だが、袁崇煥には別のモノが見えていた。
「確かにその通りですが、かつてとは大いに違うことがあります。それは宦官の害が、ほぼ根絶されており、又、(泰昌)皇帝が、臣下に信を置かれていることです。
『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』
という貴方から贈られた言葉を、以前に皇帝に伝えたところ、
『本当にその通りだ。朕は臣下に情けを掛け、仇為すことはしないように心掛けよう』
と仰せでした」
袁崇煥はしみじみと言った。
「実際に我が(明)帝国においては、ずっと功臣は粛清されていくのが当然視される惨状でした。ですが、(宦官の巣窟だった)東廠は潰され、更に日本等からの助言によって、皇帝は考えを変えられたようで、臣下に任せるべきことは任せるようになり、臣下は働き甲斐を感じるようになりました」
袁崇煥は、そこで言葉を切った。
「皇帝がこのような態度を執られ続ければ、ますます臣下は(明)帝国の為に働こう、とするでしょう。そうしていけば、明帝国内の様々な改革は順調に進む、と私は考えます」
袁崇煥は前を向くように言った。
「それは良かったです」
武田中将は答えた。
その一方で、二人は明帝国軍の今後の大方針を考えざるを得なかった。
明帝国内において、大規模な流賊が蔓延る状況は脱したが、その生き残りの多くが地下に潜り、犯罪結社化しつつある。
更に言えば、明帝国陸軍は、それに対処するには余り向かなくなりつつある。
これまでの流賊は大規模な武装集団と言っても過言では無く、普通の警察では無く、国家憲兵(警察軍)が対処するのが当然といって良かったが。
流賊が消滅したといっても過言でなくなった以上、次の段階に進むべきときが来ていた。
武田中将は言った。
「速やかに、今後の明帝国陸軍を二つに分けるべきだ、と私は考えています」
「二つですか。どのように分けるのでしょう」
袁崇煥は答えた。
「本来の国防を担う陸軍と、国内全体の治安維持を主任務とする国家憲兵(警察軍)にです。そして、国家憲兵(警察軍)は比例原則に基づいて、所持する武器の質量を落とし、それによって住民から怖れられるよりも、親しまれる存在に変わっていくべきです。そうしないと住民から怖れられるばかりで、却って住民が流賊から転じた犯罪結社に味方する事態が多発しかねません」
「確かに止むを得なかった側面もありますが、流賊に対する武力討伐は極めて苛烈で、その際に住民にまで銃口を向けた例が多発しました。その結果、流賊に通じる住民が、それなりに出たのは事実です。国内全体の治安維持を主任務とする国家憲兵(警察軍)は、保有する武器の質量を落とすべきやも」
「国内の治安を守ろうとするには、住民との協力が必要不可欠です。その際に強力な武器をひけらかしては、却って住民から怖れられます」
二人の話し合いは続いた。
この武田信勝中将と袁崇煥との対談ですが、私的な対談であることから、本当に腹を割った対談になっており、そうしたこともこの後の流れに繋がります。
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