第12章ー14
飛田提督は、巧妙極まりない方法を取った。
この新型銃、後装式ライフル銃(史実で言えばスナイドル銃の半コピー銃)を、この場で取り扱う面々を、この時代出身者に限ったのだ。
何故に飛田提督がそうしたのか、といえば、この新型銃の特性を利用した戦術に誰が最初に気が付くか、というのを見たいと思ったからだった。
「流石、新型銃、弾を込めやすいし、発射速度も速いし、射程距離も長いな」
宇喜多直家ら、この時代の多くの者が最初は銃の特性だけに注目した中で、1人だけが数発、撃っただけで新戦術の可能性に想いを馳せた。
言うまでもなく、織田信長である。
「これは」
数発、撃っただけで、新戦術の可能性に信長は気付いた。
「尾張の大うつけ」
と陰で呼ばれており、ろくに将来のための勉強もしておられてはいない、とそれこそ傅役の平手政秀にまで想われていたが。
信長なりに、独自に勉強はしてきている。
また、政秀からしばしば
「付き合われる面々は考えるべきです」
と諫言されたが、信長にしてみれば、少々素行は悪くとも、それなりに役立つ面々(例えば、情報収集に長けている)と見極めたうえで、付き合う面々を考えて付き合ってきた。
そうした仲間からの情報の中に。
山崎の戦いにおける皇軍の戦いについての情報があった。
皇軍は部隊を散開させて、それこそ伏せたままで容易に銃の射撃をしていた、という情報があったのだ。
だが、その情報を自分に伝えた仲間も信じてはいなかった。
なぜなら、皇軍が伝えて広めた銃は伏せたままでの射撃が困難な銃ばかりだったのだ。
だが、この新型銃なら伏せたままで撃てるし、更にこの射程からすれば、(被害を軽減するために)部隊を散開させて戦わざるを得なくなる。
ということは。
「山崎の戦いを、この銃ならば行えるという訳か」
信長は思わず叫んだ。
信長は周囲に自分の考えをすぐに説いた。
信長の考えを、すぐに理解できた面々は少なかったが、理解できた1人が鍋島清房だった。
「言われてみれば、その通りだ。肥後や対馬における皇軍の戦いについての情報を聞く限り、この銃を使えば、同様の戦い方ができる」
清房は肥前出身であり、皇軍の戦いについての情報を多く把握していたので、信長の考えを理解できた。
そして、清房は信長に協力して、周囲に新型銃を使った新戦術の可能性を主張した。
更に信長や清房の主張は、宇喜多直家や村上通康等、他の面々も得心させていき、数日も掛けずに新型銃を使った新戦術の可能性は、日本の使節団の間に広まった。
かくして。
「ほう。流石は織田信長公というべきか」
飛田提督は、実際に新型銃(後装式ライフル銃)による新戦術の可能性に、信長が真っ先に気が付いたことを知らされて、素直に感服せざるを得なかった。
「これは陸軍が、信長を採用しなかったのも当然にさえ思えるな。余りにも聡すぎる」
そう飛田提督が感心する間にも、信長が高唱した新戦術は、新式銃を使っての演習が行われていた。
「撃て」
散開した日本の使節の面々が、(ラマダンによる)空腹に耐えつつ、数百メートル離れた目標に対する射撃を成功させる様は、これを目撃したオスマンの軍人系の官僚に脅威を与え、また、日本との同盟締結を促す方向に働くことにもなった。
完全に伝説の話だが。
日本の使節団の射撃演習を実見したオスマン帝国のある軍人からは、
「新型銃を装備している日本兵100人は、10倍のイェニチェリ兵と優位に戦える」
という書簡がスレイマン1世に送られることとなり。
それを読んだスレイマン1世から、この軍人は日本を怖れる余りにとうとう発狂したと思われて、その軍人が罷免される、という悲劇が起きた、と後世に伝わることになった。
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