第85章―13
さて、このような麻薬対策が、何故に明帝国軍に求められたのか、というと。
勿論、訓練等の合間に流賊討伐を、小規模ながら明帝国軍は行ってはいた。
だが、装備の改編や軍の規律や訓練を向上させる為には時間が必要で、小規模にやるしかなかった。
(具体的に言えば、日明戦争直後の明帝国軍には、流賊の根拠地等まで大規模な攻勢を執れるだけの力が無く、適宜に流賊の襲撃を迎撃して追い払うのが精一杯だったのだ)
そして、流賊討伐を行う内に、流賊の背景が徐々に明確に分かって来たという事情もあった。
既述だが、流賊の人員の供給源は流民と言って、ほぼ間違いなかった。
では、その武器等はどうやって調達、確保しているのか。
その一部が掠奪行為等(例えば、戦場で遺棄された武器を再利用する)で賄われているのが分かったが、必ずしもそれだけではなかった。
麻薬を密造、密輸して、その代わりに武器等を国外から調達する様々なルートが、流賊と密輸業者(元をたどれば、その主なのが自由貿易商人へと転職しなかった倭寇の面々)との間に確立しているのが判明したのだ。
又、腐敗した軍人から武器の横流しを受けている例までが発覚した。
こういった武器等の調達ルートも併せて潰さないと流賊の跳梁を阻止できない。
だが、その一方で明帝国軍内に麻薬が蔓延っているままでは、明帝国軍内の麻薬患者が流賊に内通する事態が多発しかねない。
そう考えられたことから、まずは腰を据えて軍内部の麻薬対策を講じ、更に軍紀の粛清を徹底的に行った上で、本格的な流賊討伐を明帝国軍は行うべきだ、ということになったのだ。
そして、この方針は結果的に正しかった。
約1年を掛けて、明帝国軍内部の粛軍は遂行されることになり、明帝国軍内においては、医療部隊が治療で用いる以外の麻薬類は完全に姿を消して、猛訓練に耐え抜いた精兵のみが残されることになった。
とはいえ、まだまだ道程は遥かだとして、着実に沿岸部方面から内陸部へと、流賊を追い立てるように明帝国軍は鎮撫作戦を展開することになった。
その過程において、ケシを栽培していた畑や麻薬製造工場は容赦なく焼き払われる事態が起きた。
そして、それに関与していた農民や工員は罪の軽重に応じて、処刑されたり、投獄されたりする事態が起きることになった。
(尚、沿岸部から内陸部へと明帝国軍が鎮撫作戦を展開した主な理由だが、流賊への武器の密輸ルートが主に海路から為されている、と様々な捜査活動によって把握されていたことからだった。
実際、ローマ帝国方面からモンゴル等を経由したり、又はインド方面からビルマ等を経由したりする陸路による武器の密輸ルートが無きにしも非ずだったが、メインは北米共和国を主な武器の生産国とする海路からの武器の密輸ルートだったのだ。
この現状に対して、明帝国政府は日本等と協力して、流賊への武器供給を断つように北米共和国等に依頼したが。
余り積極的な協力が得られたとは言い難い事態が起きた。
これには二つ理由があった。
まず第一に、流石に戦車や大砲といった大型兵器は、それなり以上に管理が北米共和国等では為されていたのだが。
小銃、更には拳銃となると、中々管理が行き届くモノではなかったのだ。
特に北米共和国は、それこそ人よりも拳銃の方が多いというお国柄で、子どもが中学以上になれば、護身用の拳銃を買い与える親がいるくらいである。
(因みに徳川千江の中学入学祝いは護身用の自動拳銃だったとか)
そうなってくると、当然のことながら、大量の拳銃が国内にあることになり、それこそ一部の犯罪者たち、というより犯罪者集団(マフィア等)が拳銃を密輸出するのも容易と言う事態が起きるのだ。
徳川千江の中学入学祝いの拳銃ですが、現実世界で言えば25ACP弾を使うFN ブローニング・ベビーやジュニア・コルトとほぼ同じ拳銃と考えて下さい。
(流石に中学に入学した女性が護身用で使える拳銃となると、この辺りになる気が)
更に言えば、何処かで書きましたが、現実世界の米国並みに銃が溢れた社会にこの世界の北米共和国はなっていますので、護身用の短刀、脇差の代わりに拳銃を所持する社会にこの世界の北米共和国はなっています。
尚、この話は次話にも少し続きます。
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