第12章ー12
日本への協力を依頼して、ロクセラーナ皇后陛下の御前を下がる前、上里美子はロクセラーナ皇后陛下から尋ねられた。
「何だったら、過去を隠してセリムの愛妾に本当になる気はないか」
「ありがとうございます、そのお言葉に従います、とお答えすべきなのでしょうが。私は、日本で行方知れずになっている母を探し出したいのです。そして、イスラムの教えの下、母と暮らしたいのです」
「何と母想いの娘か。それなら、そうすればよい」
「本当にありがとうございます」
美子は、嘘を吐いていることに、後ろめたさを感じつつ、御前を下がった。
そして、美子は、無事に日本の使節団の下に還った。
美子は、無事に任務を果たしたことを、岩畔豪雄使節団長に速やかに報告した。
岩畔使節団長への報告を終えた後、緊張が完全に解けたのか、美子は膝からくず折れてしまった。
「よくやってくれた。まず、大丈夫とは思っていたが、万が一のことがあるからな」
「はい」
岩畔使節団長は、美子の手を掴んで、立たせようとしながら、そうやり取りをした。
そう、美子が出身をシャム王国ではなく、ジョホール王国と偽ったのには曰くがあった。
ジョホール王国は、(国教が)イスラム教の国である。
イスラム教の国出身の、なおかつ、イスラム教徒の奴隷の主になることは、イスラム法では大問題だ。
そして、そのような者を奴隷から解放するのは、イスラム教徒にとって善行とされている。
だから、美子は、自分はジョホール王国出身のイスラム教徒だ、と出身を偽ったのだ。
こういえば、他の人の目もある以上、ロクセラーナ皇后陛下は、美子を奴隷から解放する方向に動かざるを得ない。
そして、そう動くということは、オスマン帝国と日本との同盟について、好意的に動かざるを得なくなるということにもなる。
岩畔使節団長はそこまで考えて、美子をロクセラーナ皇后陛下の下に送り込んだが、何が起こるのか分からないのが、現実というものである。
だから、美子も岩畔使節団長も、内心では薄氷を踏む想いをしたのだ。
もっとも、その代償はそれなりに有った。
「済まないが、今後は帰国の船に乗るまで、敬虔なイスラム教徒の解放奴隷の女性として振舞ってくれ」
「分かりました。もう10月になって、ラマダンが明けたので、まだマシです」
そう美子は、この後、敬虔極まりないイスラム教徒の女性として、1日5回の礼拝等をせねばならない。
これまでは、異教徒の奴隷に堕ちていたので、イスラム教の戒律を守れないと言い訳が出来たが、奴隷から解放された以上、周囲の目もあり、イスラム教の戒律を守った生活を美子は強いられる羽目になるのだ。
美子は、内心でため息を吐かざるを得なかった。
幾ら祖国日本のためとはいえ、何で本願寺顕如の義姉でもある真宗門徒の私が、イスラム教徒としての生活を強いられねばならないのだろう。
もっとも、美子はまだマシな方だったのだ。
実は、アガバ港に残された面々だが。
「なあ、ラマダン月は、いつ明けるのかな」
「我々の暦で言えば、1552年の9月29日だな」
「いつからだったっけ」
「1552年の8月31日からだった筈だな」
「日没から日の出までの飲食は構わなかったよな」
「ああ、その通りだ」
一時、アガバ港に残された日本の使節団の面々は、空腹で気が遠くなる思いを夕方になるとしていた。
アガバ港に8月下旬に日本の使節団は入港しており、使節団が下船してすぐにラマダンに入ったのだ。
そして、首都コンスタンティノープルに向かった面々は、旅行者ということでラマダンが同行者と共に免除されたが。
残された者は、オスマン帝国の官吏の目が光っている。
異教徒なので関係ないが、どうにも食べづらい。
少し補足します。
本来、アガバ港に残されている日本の使節団は、ラマダンを守る必要は異教徒なので全くありません。
しかし、敵意の籠ったオスマン帝国の官吏等の目が光っているので、難癖を付けられないように、日中の飲食を控える事態が起きているのです。
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