第12章ー9
もっとも、そういったトラブルがあったことから、100人余りの使節団全員で、オスマン帝国の首都コンスタンティノープルに向かうという話は、いきなり潰れることになった。
アガバ港に使節団の多くは足止めされ、首都コンスタンティノープルに向かえるのは、岩畔豪雄将軍と久我晴通ら、10人以下の極少数に絞られることになったが。
「何で女性が、その中に入っているんだ。しかも、この土地の民族衣装まで着ている」
暑さと過労から、少しボケていた織田信長は、首都コンスタンティノープルに向かう人員の中に女性がいることに首を捻って、呟いた。
「おい、しっかりしろ。忘れたのか。あの方を誰だと思っているんだ」
その傍にいた村上通康は、信長をたしなめた。
「誰だったっけ」
信長は本当に忘れていた。
「三条美子殿だ。使節団次席の久我晴通の正室になられる予定の方でもある」
通康は、声を潜めながら言った。
「えっ」
流石に、インド株式会社に入る際に、自分がお世話になった本願寺の将来の法主、本願寺顕如の義姉とあっては、信長も態度をあらためて、引き締まらざるを得ない。
「中々どころか、極めて優秀なお方らしい。だからこそ、三条家の猶子になられ、また、久我晴通殿と婚約されたとのことだ。本来は、インド株式会社の重役、上里松一殿の側室腹の娘で、シャム王国のアユタヤで生まれ育ったらしいが。それで、育った土地柄等から中国語に通じておられるとのことで、通訳として参加されている。決して物見遊山で参加された訳ではない。乗船中も、アラビア語やトルコ語の習得に励まれ、アラビア語なら、ある程度は分かるようになったとのこと。3月もあったので、何とかなったと言われているのことだが、本当に優秀な方のようだな」
「それは素晴らしい」
通康の知識は、一部誤ってはいたが、信長にしてみれば、それが誤っているという知識がないので、素直に感心せざるを得ない。
「この土地では、女性はあのような服を身に付けて、肌を隠すのが礼儀とのことだ。問題を起こさないようにと、あれだけ高位のお方なのに、美子殿はそれに従われている。我々も見習って、問題を起こさないようにしないとな」
通康の言葉に、信長は黙って肯かざるを得なかった。
さて、そんな風に感心されているとは露知らず、美子は(内心で)溜息を吐いていた。
「馬に乗る練習はしたけど、ラクダに乗る練習はしていないわよ」
もっとも、この辺り、実は他の使節団の面々も同様だった。
さしもの岩畔豪雄将軍といえど、ラクダに乗る練習はしていない。
他の面々の多くが、ラクダという動物を初めて見聞きする有様だった。
とは言え、アガバ港から地中海沿岸に出るのに、馬よりもラクダに乗った方が良い、というオスマン帝国側の理屈も分からないではない。
日本の使節団は、渋々、ラクダに乗る羽目になった。
勿論、ラクダの扱いに慣れた者が、傍に付き添ってはくれる。
だが。
「気持ち悪い」
ラクダの臭いは、それなりに強い。
更に、ラクダの歩き方は馬と異なって側対歩なので、非常に揺れるのだ。
美子は何とか耐えたが、使節団の中には、船酔いならぬラクダ酔いになってしまい、ラクダから降りて歩く者まで出た。
久我晴通も歩く羽目になった一人だった。
「何だか従者に落とされた気が」
久我晴通はボヤキながら、付いて歩く羽目になった。
そして、地中海沿岸に出て、そこからはオスマン帝国が用立てた船に乗り、首都コンスタンティノープルに日本の使節団は向かったが、そこでも臭いには悩まされた。
ガレー船なので漕ぎ手が大量に乗っており、帆船とは比べ物にならない程、臭いが強くなる。
首都に着いた時、美子は心底、ホッとする有様だった。
なお、作中ではボカシていますが。
8月下旬に日本の使節団はアガバ港に到着。
9月末に地中海航路等を使って、オスマン帝国の首都コンスタンティノープルに、日本の使節団が到着ということでお願いします。
当時の地中海航路等の速度が、幾ら調査しても、どうにもイメージしづらく、作者の私のだろ勘で推量していますが、できる限り緩く見てくださるように、平にお願いします。
ご感想等をお待ちしています。