第12章ー8
そんなこんながあった末に8月になり、紅海に日本の使節団は進入した。
当然、オスマン帝国の役人からの誰何を、日本の使節団は受けることになったが。
「本当に色々と歴史のしがらみが生じているのですね。ほんの10年しか経っていないのに」
「はは、10代半ばの女性の言葉とは思えないな。上里松一海軍大尉が娘を可愛がるわけだ」
そう上里美子と岩畔使節団長は、こっそり会話を交わす羽目になった。
日本の使節団が、オスマン帝国に赴く。
このことは、事前にオスマン帝国に予告されていたことだった。
そして、それをオスマン帝国に予告したのは、日本の属国に転落していたアチェ王国だった。
実はアチェ王国上層部の一部は、日本の属国になった直後、オスマン帝国に救援を求めていた。
だが、幾ら当時、世界の超大国の一つと言えるオスマン帝国とはいえ、アチェ王国を日本から救援して、属国の立場から解放するのには、余りにも遠すぎた。
だから、アチェ王国からの救援要請に対し、オスマン帝国は、追って援軍を派遣するという口約束をすることで、当面はお茶を濁そうとした。
(アチェ王国が、日本とジョホール(マラッカ)王国連合軍の前に屈服したのは、1548年の話だが。
それ以前に、対ポルトガル戦争の観点から、アチェ王国とオスマン帝国は同盟を締結していた。
そして、アチェ王国に対して、オスマン帝国は武器を贈る等の具体的な支援をしていたのだ。
だが、日本の急襲の前に、オスマン帝国がアチェ王国を支援する時間等の余裕はなく、アチェ王国は日本の属国にならざるを得なかった。
とはいえ、その誼を頼りに、アチェ王国上層部の一部は、オスマン帝国への救援を依頼した)
そして、オスマン帝国がお茶を濁している間に、ポルトガルはインド方面の兵力を投入して、マラッカ奪還を何度か試みたが、その度に、日本とマラッカ王国の連合軍の前に、ポルトガル軍は殲滅される事態が起きてしまった。
これを、アチェ王国上層部は間近に見せつけられてしまった。
こうなると、かつてアチェ王国上層部の一部が行ったオスマン帝国への救援依頼は、日本に対する裏切り行為として、自分の首を絞めるのでは、という危惧をアチェ王国上層部に高めることになった。
それ故に。
日本が打診したオスマン帝国との同盟締結にアチェ王国は尽力してほしい、という依頼に対して、アチェ王国上層部は、積極的に取り組むことになった。
それで、かつての日本に対する裏切り行為を帳消しにしてもらおうと考えたのだ。
(なお、日本側はアチェ王国上層部の一部の裏切り行為を把握しておらず、この半ば自首してきたことについて、好意的な対処をすることになった)
だから。
オスマン帝国は、半ば目を白黒させる羽目になった。
最初は、アチェ王国から自国を解放してほしい、という救援依頼があったのに、いきなり、救援は不要であり、日本と同盟を結んで欲しい、という依頼を受ける羽目になったのである。
とはいえ、実際問題としてアチェ王国まで兵を送ることは、幾ら超大国のオスマン帝国とはいえ、中々に難しい話になる。
そのために、アチェ王国の依頼を受け入れ、日本との同盟締結を検討するという態度を、オスマン帝国は取ることにした。
だが、一応はオスマン帝国の同盟国であるアチェ王国を日本は攻めて、更に属国にしている以上、オスマン帝国は、他の属国に対する体面もあり、それを非難せざるを得ない。
そういったことから、オスマン帝国の外交官は、日本を非難した上で、首都まで日本の使節団を案内することになった。
岩畔使節団長はよくあることと平然とし、美子も割り切ったが。
他の使節団の面々はいきなり肝を冷やす事態が起きたのだ。
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