第80章―24
実際、鷹司(上里)美子の言葉、情勢判断は誤っているどころか、正鵠を射ていた。
「こちらとしては、全く以て良かれと考えてしたのだが。却って南京を中心とする住民達の多くを、結果的に怒らせたようだな」
「確かに明帝国の住民の意思、信仰等を無視したと言えば無視した行動ですが、ここまで怒られるとは」
そんなやり取りを、上里丈二と幕僚らはする羽目になっていた。
南京市街に明帝国軍は立て籠もったが、その際に完全に南京市民の住民を「人間の盾」にするような行動を明帝国軍は採ったのだ。
その為に、日本軍はどうすべきか、散々に悩んだ末に、南京市街に対する大規模な空襲を、事前警告を行った上で行う事態が起きたのだ。
その結果として起きたのが、遥か後世に至るまで「南京大空襲」として中国の国内外に語り伝えられることになる大惨禍だった。
この「南京大空襲」による死傷者数は、文字通りに後世に至るまでの論争のタネになった。
何しろ日本軍の行った空襲の手段は、純粋に軍事的視点から見れば、極めて合理的、効率的な代物としか言いようが無かった。
その一方で、この空襲は容赦なく、一般の民間人まで巻き添えにして、大量の死傷者を出したのだ。
この空襲を生き延びた多くの面々が家族を失って激怒するのも、又、当然だった。
更に生き延びた多くの面々を怒らせることがあった。
それは、この「南京大空襲」により、長江に流れた多くの遺体を、日本軍は荼毘に付したのだ。
荼毘、火葬は儒教に反するモノだ、日本による中国人蔑視の象徴だ、とまで激怒される事態が起きた。
だが、日本軍に言わせれば、本当にやむを得ない話としか、言いようが無かった。
それこそ長江に浮かぶ何十万単位の死体を、そのまま放置して海まで流すとか。
長江に深刻な水質汚染を引き起こし、流域一帯に疫病を引き起こす原因になりかねない。
更には、そんな何十万体の死体を処理する能力があるのは、日本軍しかいなかったし、日本軍にしても長江の水にさらされて、様々な意味で腐敗して膨張している遺体を丁寧に処理できるのか、というと。
緊急避難的な処置として、遺体を長江からすくい上げて、その遺体を火葬にすることで、衛生処理をして、遺された遺骨を土に埋めるのが精一杯だった。
そんなことをせずに、そのまま長江に浮かべ緩々と遺体を海に流せばよかったのだ、と住民は言うが、そんなことをしては、それこそ自身も含めて多くの住民が、大量の遺体によって汚染された水によって、大規模な疫病が流行する事態が引き起こされる以上、日本軍としては当然の判断だったのだ。
そんな想いが現地では漂っている以上、日本が行う現地住民に対する救援活動は、余り感謝されない事態が起きた。
加害者のお前らが、こんなことをしたからといって、被害者が感謝する訳が無いだろう、そんなことを裏ではいう住民が多発したのだ。
そして、明帝国と日本等の講和交渉が進んで、その内容が徐々に噂という形で漏れるようになって。
「東夷の小国の日本が、アジアの国々の長兄になるだと」
「我が明こそが長兄になって当然なのに、我が明は日本や後金、モンゴルの弟扱いだと」
「どこまで漢民族を侮辱するのだ」
「夷狄にして禽獣に等しい者達が、漢民族より上だと言うのか」
そんな反日主義者、愛国主義者が激増する事態が引き起こされた。
「日本等は七族協和主義を唱えているが、漢民族を中心とする中華民族主義こそが正しい」
「そうだ。東アジアの民族全てが中華民族なのだ」
「中華民族が住まう世界全て、それこそ南北米大陸から豪州等までが明の領土であるべきなのだ」
そんな暴論までが、一部の漢民族でははびこる事態が後々で引き起こされたのだ。
七族協和主義については、次話で説明します。
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